SF小説『三体』の1作目を読み終えました。
2019年7月に購入して、半分くらいで挫折してから2年近く経過し、ようやくの読了。今回三体を楽しめた大きな理由は、登場人物の「Anki」を作ったことなのではないかと思います。
読んでみて改めて思うんですが、前回読み進めた半分くらいのところまではあんまりおもしろくなかった気がします。というより、半分くらい読み進めるまでが正直一体全体どういう話になるのかが想像できなさすぎて、様々な点で「難しい」話なのではないかな、と思いました。
まずやはり、難しかったのがこれが中国語で書かれた小説だったということ。
(自分の場合)複数人の慣れない中国名をきちんと区別する、ってのがまず最初のハードルでした。さらに、文字で読む名前が中国語の発音と日本語の発音がごっちゃになって、より理解がしづらい。おそらく多くの日本人は「漢字」で書かれてるおかげで日本の発音で名前を読んでしまうんですが、たぶんこれは現地の発音の方が楽しめるんですよね。
大史(史ニイチャン)みたいな発音を「だいし」って読んだらやっぱりちょっと変(という感覚はあるんだけど、つい「だいし」って発音が出てきてしまう)
これらを「Anki」である程度カバーするか、紙の本に付いてくる「人物カード」なんかに頼るって方法もいいかもしれないです。(電子書籍で読んだ)
ブックカタリストで、『情動はこうして作られる』という本について語りました。
BC035 『情動はこうして作られる』 - by goryugo - ブックカタリスト
この本は、ナレッジスタック的な観点からも面白いことが多くて、本の内容を参考にしてナレッジスタックでもいくつか話題を取り上げてみたいな、と思ってます。
Podcastを聴いていただけると、文字にしたときに「ああ、ごりゅごはこうやって語ったコンテンツを文字に再利用しているんだな」というメタな楽しみ方もできるかもしれません。
1年ちょっとくらいブックカタリストは続いていますが、こうやって一回喋ると、ただ読んだだけの時とは比べ物にならないくらい書かれていることが上手に脳内でまとまって、他の場所でも「使える」素材になるな、というのも実感しています。
今年の2月末に「アトミックに考える」ことについての本の「はじめに」部分をお送りして2ヶ月くらい経過しました。
よっしゃそろそろでき上がったぞ、、、 というわけでは全然無くて、4月中には終わらせて、5月には発売できるはず、というくらいのペースで進んでいます。
そんな中で、今回は「なぜ一つのことを書く」ということが便利なのか、という話が、ようやく自分が納得できるようなたとえ話を作ることができたので、それを皆さんにご覧いただこうと思います。
まだまだ編集前、校正前の原稿なんですが、ご意見ご感想、その他「こうしたらいいんじゃないか」なんてものがありましたら、コメントやこのメールへの返信で教えていただけたらありがたいです。
ノートは一つのことが書かれていると扱いやすくなる
一つのノートに一つだけのことを書くことは、理解や整理以外にも、シンプルなので他のノートと組み合わせて力を発揮できるというメリットもあります。
アトミックなノートがどのようなものなのかイメージしやすくするために、文章というものをレゴブロックで例えてみます。
文章をレゴで例えると、レゴのパーツ一つ一つは「単語」です。この様々な単語を組み合わせて文章を作り、文章が複数集まって一つの「本」だったり「記事」「コラム」というものが完成します。
レゴブロックを単語だとするならば、私たちが普段目にする文章の多くは、「完成品のレゴのセット」1というイメージです。
そして、アトミックノートというのはレゴのセットの中に入っている建物や乗り物に相当します。
乗り物が一個だけで「作品」として成立はするけれども、本領を発揮するのはこれらが複数集まって、統一感ある一つの世界を作り上げたとき。
こういった車や建物が手元にたくさんあれば、どんな世界も自由にいくつでも作り上げることができるようになります。
アトミックなノートを作るのは、レゴの基本パーツを使ってこういった車や建物という「単体でも成立する部品」をたくさん手元に作って残しておくということ。
こういった「乗り物」は、レゴの基本パーツを使って一から組み上げるということも、もちろん可能です。ただし、完全にゼロの状態からパーツを一つ一つ組み上げて「乗り物」を作る手間は、建物や車を組み合わせる苦労とは比べ物になりません。それには膨大な手間と時間がかかり、ほとんどの人は途中で諦めてしまうでしょう。
多くの人が文章を書くときに苦労しているのは、この「レゴの基本パーツを組み合わせて乗り物を作る」ということをやろうとしているからなのです。
もちろんそれが出来る人も世の中には存在しますが、多くの人はそんなことはできません。
だから、日ごろからたくさんのレゴのパーツを集め、いざなにかを作ろうとするときにはパーツを組み合わせてすぐに完成品を作れるようにしておくのです。
ノートはできるだけ抽象的に書く
このように文章を作るための部品を集めるときには、文章はできるだけ抽象的に書くのが大きなコツです。この話も再びレゴで例えて考えてみましょう。
大抵の場合、レゴの警察署セットには「パトカー」が付いてきます。当たり前のことですが、パトカーは車の一種で、ほとんどのパトカーは市販されている車をちょっと改造して作られているだけです。
レゴでパトカーを作るのであれば、白い普通の車に、うまく黒を配置してあげればそれでパトカーは完成。ディティールにこだわるのであれば、車の上にパトランプをつけるなんてことも可能ですが、どちらにしても基本の車が1台あると改造は早いです。
普通の車を改造して消防車を作るのはちょっと難しそうですが、外側を赤いパーツに変えることで「消防指揮車」にすることは簡単です。これならば、警察署セットで作った車を、消防署セットの中にも違和感なく使うことができます。
また、普通の車から消防車を作るのは難しくても、ちょっと構造を変えて、車をレーシング仕様のスポーツカーに改造するくらいならばできるかもしれません。
そうすれば、この車は「レゴ・レーシングセット」の中でも利用できるようになります。
この中で自分の手元に1台残しておくならば、どの車がいいでしょうか?
一番かっこいいのはレーシングカーかもしれませんが、一番使い勝手がいいのはもっとも「普通」の車です。これ1台あれば、ちょっとだけ手を加えることで、様々なレゴセットに違和感なく溶け込ませることが可能です。
アトミックノートもこれと同じように、できるだけ様々な文章に溶け込ませることができるようにするために、できるだけ「普通」の、抽象的で汎用的な文章を作っておくと、様々な場面で利用できる文章のパーツになってくれます。
このときに重要なのは、一度自分の手できちんと普通の車を作ったという経験です。
車をちょっと改造できるのは、一度自分の手でレゴのパーツを組み合わせて作り上げて構造が把握できているから。これが、誰かからもらった(文章で言うならばコピペした文章)車では、簡単に改造はできません。
人からもらった車が自分のコレクションにあっても、一度自分の手で作ってみない限りは自分の作品の中でうまく使うことはできず、違和感ありまくりの、他から浮いてる車にしかならないのです。
「どこかで聞いたことあるような言葉」「自分の考えがない」などと言われる文章は、人からもらってきたレゴの部品を組み合わせて商品にしているだけで、自分では何ひとつ部品を組み立てていないという場合が多いです。
文章をコピペしては意味がない、というのはまさにこういう理由です。レゴのパーツをもらったら、一度きちんと自分の手で組み立ててみる。そして、組み立てたものをできる限り使い勝手がいい汎用的な部品で組み建て直す。
そうすることでレゴの構造が理解でき、他でも使いやすい「自分の言葉になる」部品として手元に残しておくことができるようになります。
近況 3月に平気だった花粉症が、4月に入ってから死にそうになっています。 どうやら自分はスギ花粉はわりと大丈夫で、ヒノキが完全にダメみたいです(昔はスギ花粉でもダメだったけど、なにがあったんだろう?)
最近は寝るときも家の中も基本マスクをつけた生活です。
たとえば「警察署セット」として売られているセットは、建物や乗り物、人間(ミニフィグ)などが複数組み合わさって一つのテーマをもった世界を形成しています。 ↩︎