幸福と多様性について調べた、興味深い研究があります。
Does Variety Among Activities Increase Happiness?
中身をものすごく大雑把にまとめると、1日でいろいろなことをするのは幸福だけど、1時間でいろいろなことをするのは不幸である、という内容のもの。
1日という長い時間ずっと同じことをしてると飽きるけど、1時間でいろんなことをするのは幸福感を感じられない(生産的でないように感じる)
ごく普通の、ごく当たり前に感じる内容ですが、スマートフォンという隙間時間を埋める究極のツールを手に入れてしまった我々は、このことについて真剣に考えなければなりません。
私たちは10分に1回スマホを手に取っている1という結果に基づくのであれば、1日のうちに幸福感を感じられる時間というのは存在しない、という言い方もできてしまいます。
ごりゅごも「スマホの通知を限りなくゼロにする」など、できる範囲で対策をしていますが、その1つとして最近気に入っているのが、多くの行動を「儀式化」することです。
習慣を「儀式」にアップグレードする
きっかけになったのは以下の記事。
On publishing 100 articles in 100 days and crossing $100K ARR: Anne-Laure Le Cunff's story
この記事で、インタビュイーのAnne-Laureさんは読書を「ROUTINE」ではなく「RITUAL」として実行する、ということを言っていました。
上の3つの言葉はどれも日本語で「習慣」や「日課」という言葉ですが、辞書などで違いを掘り下げると、以下のようなイメージの言葉になります。
habit:個人の無意識的な習慣、癖、惰性
routine:いつもしていること、日課、いつものやり方
ritual:儀式、日頃の習慣、決まり事
日本語にまったく同じ言葉はないので、同じ感覚で理解するのは難しいんですが、 HABIT,ROUTINE,RITUALの順に「使うエネルギーが大きく」「自覚的な行動」だとイメージできればそれで問題はありません。
(あえて日本語を当てるならば habit = 惰性, routine = 日課, ritual= 儀式、とするとイメージしやすい)
「効率化」を目指すと「惰性」で行動してしまう
これを踏まえて考えてみたいのは、毎日の行動で「自覚的に」実行できているものはどのくらいあるのか、ということ。
1日の中でどのくらいのことを「自覚的に」実行できたのか。これは1日の達成感につながり、幸福度にも直結するであろうことは直感的にも正しそうです。
ただ、忙しい毎日を過ごしていると、あらゆることを少しでも「早く」「効率良く」進めようとするほうに意識が向いてしまい、自覚的な行動、というものは減ってしまいがち。毎日「なにやったか覚えてないけど忙しかった」という状態では幸福感は味わえません。
記録は「行動を自覚的にする」行為
では「惰性」で行動せず「自覚的」に行動するにはどうすればいいのか。ごりゅごが一番に思いつく答えは「記録すること」です。
「今自分がやっている行動」を、今からこれをする、と「自覚的」に始めて、終わったらまた次の行動を記録し、自覚的に開始する。
仮に行動が自覚的なものではないとしても、すくなくとも「記録した瞬間は自覚できてる」し、残っている記録は自分が「達成感」を感じる根拠になります。
もちろん、記録したらいいぞと言われ、言われた通りに実行したからといって、なにもかも簡単に理想通りうまくいくなんてことはありません。
とはいえ、今自分は何をしているつもりなのか、ということを書いておくことで毎日の「達成感」は確実に変化します。
この記事、最初は「記録がいいぞ」という結論にする予定はなくて「隙間時間でなにかしようとするんじゃなくて、遊ぶなら時間をとってきちんと遊ぶことが大事だぞ」という話にする予定でした。
ただ、実際に書き進めていくと、導かれるように自分にとって都合のいい話に持ってくることができて驚いています。
そう、ごりゅごは昨年、まさにそういう「記録がなぜ大事か」という本を作っていたのでありました。
記録が大事だということは、意識には上らないようになっていたけれども、今でもずっと考え続けていたことなのかもしれません。