ナレッジスタックというニュースレターは、ごりゅごがPKM(Personal Knoledge Management)について色々なことを考えていこう、と思って始めたものです。
→ 名前の由来
当初は「知識の管理ツール」のことばかり考えていましたが、「なぜ知識の管理をするのか」みたいなところからだんだん守備範囲が広がっています。
最近は「なぜ学ぶのか」「どのように学ぶのか」「学んでどうするのか」だったり「学ぶことと働くこと」みたいなところも守備範囲になってきました。
そんな風に流れは変化していますが、最近は自分が書きたいことをうまく書けるようになってきている実感も出てきています。
いい機会なので、この辺りの根本的な部分である「なんで学ぶことが楽しいと思うようになったのか」ということや「学ぼうとしている理由ってなんなのか」ということをまとめてみたいと思います。
40歳で人生の半分
ごりゅごは、昨年の誕生日で40歳になりました。(今年41になる)
去年誕生日を迎えてから、40という年齢について色々なことを考え続けています。
40歳というのは、20歳という「大人」になってからちょうど20年が経過した年齢。そして、平均寿命を80歳だと考えた時に、ちょうど半分が過ぎた年齢でもあります。
(自分が80まで生きられた時は、平均余命は遥かに長い可能性が高い1が、そこはひとまず考慮しない)
自分のことを考えると、20歳になるまでの20年間は相当多くのことを学んできたという実感があります。ただ、後半の20年はどうだったろうかというと、あんまり自信はない。
特にこの10年というのは「ウェブの民主化に伴うバブル」のおかげで生きてこられただけ、とも考えています。
とは言え、自分は「まだ40歳」で「人生は半分残っている」わけでもあるのです。
幸いごりゅごは楽観主義なので、こういう時に後悔などはせず、まだあと40年あるんだったら、今からでもやれることやっといた方がいいな、という結論を出すことは簡単でした。
そうか、この20年は結構無駄にしたかも知れないけど、まだ40年あるなら次の10年で取り戻せばいいかな、みたいな感じかな。
40になって「この20年はほとんど積極的に学ぶと言うことをしていなかったな」ということに気がつけたおかげで、あと40年生きるために積極的に学ぶことは欠かせないことだと思い、自分の行動を変えようと思えるようになりました。
世界は驚くほどに進歩していた
何かを始めるのに遅いということはない。
使い古された言葉ですが、圧倒的な真理が含まれた素晴らしい言葉です。
自分で実際に色々なことを学んでみると、学生だった頃には考えられないほどあらゆることが進歩していることを知ることができました。
特に進化していて面白いな、と思ったのが「学ぶ」という行為そのものについてのこと。
『Learn Better』みたいな本を読むと、効率よく深く学ぶ方法をすごく詳しく知ることができるし、英単語のような暗記が重要な事柄は、Ankiを使えば新しいことを覚えることはめちゃくちゃ簡単。
勉強って、こんなに便利で快適になってるんだ。今は20年前の何十倍も効率よく色々なことが勉強できるな。そんな大きな驚きと共に、勉強するという行為に対しての興味も何十倍にもなりました。
今この勢いで勉強を続けたら、おれ結構すごい人になると思うぞ、っていう厨二的な万能感も持ち始めたくらい。
そしてこの「新しい方法を使って新しいことを覚えていく」という行為それ自体がすごく楽しいんです。
さらに、覚えたことをObsidianにまとめて、自分が知ってることが繋がっていくのがめちゃくちゃ楽しいんです。
こうやって新しいことを知れば知るほど世界の広さを知ることになり、同時に自分が今までいた世界の狭さを思い知ります。
パソコン色々使いこなして最先端なことやってるぜ、みたいな自分はなんと愚かだったのか。
こんな体験から、世界はどんどん変わっていくけど、自分は放っておいたらなにも変わらない、ということに気がつくことができました。
価値観のアップデートは重要(ほっといても変わらない)
以前、森喜朗氏の女性蔑視の発言が大きな問題になり、オリンピックの実行委員長を辞職する、という炎上事案がありました。
想像するに、彼は「なにが悪いのかきちんと理解できていない」のだと思います。女性差別はダメ、という程度の認識はあるけど、きちんと概念として女性差別がなぜダメなのか、なにがダメなのかを理解できていない。
「差別はダメ」というただの丸暗記だから応用ができず、簡単に「間違ったこと」を言ってしまう。
個人の価値観というのは、放っておいても変化しません。ただ、時代は何もしなくても変わっていくし、同時に社会の価値観も変わっていく。
なにもしないでいれば、自分の価値観は社会から取り残されてしまう。
そうならないためには新しいことを学び、自分に取り入れて、変化し続けなければならない。価値観を常にアップデートできることこそがこれから最も重要なことで、そのためには様々な価値観を生み出す「新しいこと」を学び続ける必要がある。
そういうことをよく考えるようになりました。
これからのWebで考えていきたいこと
これらのことを踏まえて、自分の価値観についても考えることが増えています。
例えば自分の中にある「無料」というものに対する価値観。
この10年栄華を誇ってきた「ウェブの無料サービス」というものは限界が見えてきており、それに頼った生き方を続けることはリスクが大きすぎる、と考えるようになりました。
Googleフォトの容量無制限の「無料」サービスの終了は、その象徴的な出来事でしょう。
Googleフォトの無制限終了告知をきっかけに次の10年のコンピュータとの付き合い方を考える by ごりゅごcast • A podcast on Anchor
ごりゅご自身の話でも、無料ブログにアドセンスをのっけて、Amazonのアソシエイトリンクを貼って生きていく、という価値観のままでは先細りしか見えません。
ブログを「マネタイズする」という方法を取る限り、1番に優先するのは読者ではなく広告主になってしまう。1 こういう価値観のままで、あと40年生きていけるとは思えない。
自分に必要になのは「広告収入」に依存しない「普通の商売」を目指すこと。
理想は、何かを自分で生み出して、お客さんから直接お金がもらえるようにすること。
例えば今はこの「ナレッジスタック」は無料で配信しているんですが、有料コンテンツにすれば「自分のブログの今の状態」という実例を見せながら、もう一歩踏み込んだ話ができるんですよね。
これまでの自分はインターネットコンテンツを有料にすることには抵抗があるという「価値観」だったんですが、自分も、お金がないと生きていけません。
新しい価値観で本気で生きていくには「広告収入」ではなく、シンプルに対価をもらって続ける形にするのが一番。
これは、ごりゅごの活動を応援してほしい、というニュアンスもあるし、同時にちゃんと「よい商品」を提供して、それに対価をもらえるようにする、という行為でもあります。
きちんと対価をもらうに値するものを作れるようにならねばならないし、そうなれるように努力しています。
いますぐ有料サービスを始める、とかではないんですが、元々ナレッジスタックは有料化を考えて始めたニュースレターでもあり、このことに関してはきちんと伝えておかなければな、とも思った次第です。
このあたりのこと、2021年の間中ずっと考えてようやく少し自分の中で言語化できました。
色々なことを学んで得られた一番大きな成果は、こうやって「新しい価値観」を獲得できたこと。
そして、具体的な行動として一番重要だったことは「自分の言葉で考えを書き、タイトルをつける」というZettelkastenやエバーグリーンノートなどで常に語られていたことでした。
この辺の内容についても今後もたくさん考えて、まとめていくつもりですので、これからもよろしくお願いいたします。