スマホと距離を置くことで実感できた「ヒマという贅沢」
🌱「手が届かない」だけで自由が得られる
先日、思うところあって「可能な限りスマホを使わない。コンピュータを触らない」という1日を過ごす実験をしてみました。
きっかけは、とある日の読書体験から。
スマホがないと読書が捗る
その日は、涼しくなってきたこともあって、家の中の普段とは違う場所で本を読んでいました。ちょうどスマホのいい置き場所がなかったんで、普段スマホを充電してるスタンドに固定しっぱなしにしていたんです。
その場所は、所詮歩いて数歩、というレベルなんだけど、ゼロ距離の、手を伸ばせばスマホが届く場所と比べると、無限のように遠い場所だったわけです。
その時読んでたのは、一気読みができるような小説だったんですが、合計で2時間くらいかな?残り半分くらいの物語を、一晩で一気に読み切ってしまう、という体験が出来たのです。
普段からたくさん本を読んでいる人からしたら、本当になんてことないごく当たり前の体験だと思うんですが、自分的にはこれが「めちゃくちゃ久しぶりの出来事」だったんですよ。
気分的には20年ぶりくらいにこういう「一気読み」をしたような気がする。
これができた理由を考えてみると、これはもう「スマホがなかったこと」しか考えられないんですよね。
スマホがあると無意識に手を伸ばす
この体験以降、改めて「スマホをいつ触っているか」を意識してみたら、自分がけっこう恐ろしい状態になっていることに気がつきました。
本を読んで10分くらい経つと、もうそれだけで無意識にスマホに手を伸ばしているのです。しかも、正直別にスマホでなにかがしたいというわけではない。集中力が下がった時に、手慰みとしてのペン回しみたいな感じで、意味もなくスマホを手に取っている自分がいることに気がついたのです。
これに気がついて、スマホを「手の届かない場所に移動させる」と、これだけでこうかはばつぐん。
ふとスマホに手を伸ばそうとした時に「ない」と、それだけで理性が働いて、ああ、今は本を読んでいるんだ。スマホが触りたいわけではない。そう気がつくことができるようになりました。
スマホに触らず1日を過ごしてみる
で、この体験を踏まえて「できるだけスマホを触らない&コンピューターも触らない1日を過ごす」という実験をしてみました。
別に、100%完全にゼロにしようというわけではなくて、できるだけスマホは「手元にない状態」にするようにして、昼間はひたすら本を読むことができればそれでいい。
ちょうど、読み終えておきたい本がけっこうたくさんあって、そういう意味でも実験に都合がいいタイミングでもありました。
そういうわけで、その日の日中はとにかく本を読む。スマホとコンピューターは触らない。そういうことを意識する。
ただ、自分はもうスマホに注意力を持っていかれることが日常になっているおっさんです。
3時間も4時間も集中してぶっ続けで本を読む、みたいなことはできません。
一息つきたいような時に、普段の自分はそこで(ほぼ無意識に)スマホを触ってしまっていたわけなんですが、手元にスマホがなければそれはできない。
とは言え、今日は本を読む。スマホとコンピューターは触らない、と決めているから、他に特にすることがない。
なので、思いついてちょっとストレッチや筋トレをしたりだとか、掃除をしたりする。そして、また読書を再開する。そんなことをして1日を過ごしました。
で、そんな1日を過ごしていたら、なんか久しぶりに「ヒマだな」という感覚を味わったのです。
ヒトは、注意力を奪われるものがないと「ヒマ」だと感じることができる。
これはめちゃくちゃ久しぶりの、大きな発見が得られた体験でした。
スマホを「手元」に置かない
この体験をして以降「仕事中も極力スマホを触らないようにする」とか「食後はできるだけスマホを触らない」とか、いろいろなことを実験するようにしています。
iPhone x Macの環境だと「スマホを触らずにスマホを操作する」ことはできるんですよね。(iPhoneミラーリング)
このおかげで、パソコンの前で仕事してる時にも、パソコン経由で「たすくま」に記録を残すことができる。
これによって「仕事中にスマホを触らないといけない」という自分へのいいわけを封じることができる。
これもまた面白い発見なんですが、iPhoneミラーリングは「操作しづらい」ということが素晴らしいな、と思ったのです。
iPhoneミラーリングの操作、マウスやトラックパッドでiPhoneを操作するのは、とにかくめちゃくちゃもどかしいです。
これを体験すると、逆にスマホというものがいかに「快適過ぎて危ないのか」ということも実感します。「なんか触ってしまう」仕組みとして、よくできすぎている。
マウスやトラックパッドの「リモートの感じ」の方が、依存度や中毒具合は高くなりにくいのだとよくわかりました。
であるが故に、コンピューターの前にいる時でも「スマホを触らない」でいることに価値があるのだろう、ということも実感した次第です。
それにしてもまあ「ヒマになる感覚」が貴重なものになるなんて、20年前には想像もしていなかった出来事だよなあ、と改めて感じます。
別にヒマであることが「正しい」なんてことはないんだけど、退屈に感
じた時に「ちょっと我慢できる」みたいな感覚というのは、現在流行りのネガティブケイパビリティなんかにもつながることがあるような気がしています。
毎日ずっとヒマなのは、それはそれであんまりうれしくないけど、もし自分と同じように年単位で「ヒマ」を体験していない人がいれば、久しぶりにこうした感覚を味わってみるのもわるくないんじゃないかと思います。
実はこれって、最も贅沢で、なんの生産性もないという、最高の時間の使い方のひとつなのではないかと思ったりもしています。
