今月から新しく、ナレッジスタックの中で「次回作の本の原稿」をそのままお送りしていくことを始めます。
「30点執筆術」を使って本の原稿を書いていく、というのはまだ全然終わってないんですが「30点でいい」と考えるならば、ある意味もう全体として30点くらいのできになったのではないか?
というかなによりも、そろそろ原稿を書いていかないと、目標としていた時期(2023年の誕生日)に書き上げることができない!
なのでここからは締め切り効果を狙って、定期的に「連載として」本を書き上げていこうという気分に変化してきました。
もう「完成に向かって進めるしかない」のだと認識しました。自分にとって「本を書く」という行為は「面白いけど大変。大変だからやりたくないけどやりたい」という非常に矛盾した存在です。書きたいくせに書きたくなくて、でも書かないと終わらないから書きたい。そういうなんとも言えないもの。
結局なんにしても、一人で書いてるだけではいつまでたっても終わらなさそうなので、こうやって変化をつけて強制力を持たせよう、という作戦です。
今回は目標として(前後のつながりをある程度持ちつつも)単体の記事として、読み物として成立するものを書いていく予定です。
連載の最初の何回かは全員に公開しますが、途中からは有料会員限定の記事に変更する予定です。こういう続き物をウェブ上で公開するのははじめて(連載の経験はあるが、各記事それぞれが独立していた)ですが、楽しんでいただけたら幸いです。
今からおよそ3年前、私の読書体験の大きな転機が訪れました。
デジタルノートアプリ「Obsidian」を使い始めたことをきっかけにして、ビジネス書作家の倉下忠憲さんと"面白かった本について語るポッドキャスト"ブックカタリストを始めたのです。
2週間に1回お互いが面白いと思った本を紹介するというスタイルで、活動は3年目に入りました。今はライフワークといえるくらい生活に馴染んできましたが、とにかく最初のころは大変でした。
まず、面白かった本について語るためには本を読まなければなりません。
学生時代の私は、人並みよりはちょっと多いくらいには本を読んでいたと思っていますが、それでも決して読書家と言えるようなレベルではありませんでした。さらに言えば、人並み以上に読んでいたと思っていたのはあくまでも昔の話。Podcastを始めたころはもっとも本を読まなくなっていた時期で、気がつけば、1年間で読んだ本を振り返ったら5冊くらいだった。そんな読書量になっていたのです。
このころは、明らかに活字を読む能力が衰えていました。インターネットで見る文章とは違う、たくさんの文字がかたまりになった文章を見るだけで圧倒された気持ちになり、まともに本を見続ける(読み続けるではない)だけで苦労しました。
そしてその頃の自分は、このようにまともな量の活字を読み続けることに苦労していた、という自覚さえなかったのです。
読む力は簡単に衰えます。
誰もが読み書きができるようになった時代なんてここ100年以内で起こったつい最近の出来事で、人間の本能に備わった能力ではありません。苦労して練習しないとできるようにならないし、使わなければどんどん能力は衰えていきます。
そうした最低限のラインを超えて、普通に本が読めるようになってからも、まだまだ課題はたくさんありました。なんといってもポッドキャストのコンセプトは「面白かった本について語る」ことです。「読んだ本について語る」わけではなく、最近読んで面白かった本をお互い紹介しあう、ということが重要なのです。
となれば、ただ本を読むだけでは面白かった本について語ることはできません。複数の本を読んで、面白かった本を選び、その本がどう面白かったのか。それを相手に語り、面白さを相手に知らしめてやらなければなりません。
ポッドキャストの収録時間は1時間です。まずは、どうすれば1時間語ることができるのか。はじめてのときは、1時間語るためはどんな準備をすればいいのかすらわかりません。
当然、1時間分の内容を「頭の中だけ」でまとめることは簡単ではありません。必然的に、読んだ本の内容を読書メモとしてまとめ、整理をしてからポッドキャストの収録に望む必要があります。
こんな環境で初回の収録を無事に終わらせることができたのは「読書メモ」のおかげです。
おそらく、普段本を読むのにかかった時間と比べると、メモを書きながら読むだけで2〜3倍くらいの時間はかかっています。さらに、メモをまとめる時間まで含めると、1冊の本を読むために普段の4〜5倍くらいの時間を使ったかもしれません。
同じ一冊の本で比較することができないので、あくまでも感覚的な数値でしかありませんが、読書メモを残しながら本を読むと、同じ時間で読める「冊数」は圧倒的に少なくなります。ただし、こうやって読んだ何百冊かの本は、どの本も自信を持って「語る」ことができる本ばかりになりました。
とは言え、どの本も読書メモがなければ「語る」ことはできません。3年前に読んだ本ならば、すぐには中身を思いだせない本が大半でしょう。ですが、そのような状態でも、読んだ本についてまとめたノートさえ手元にあればある程度は語れます。少なくとも「語る」ことができると自信を持って宣言できます。
私たちの学校のテストは「なにものにも頼らず自分一人の力だけで問題を解決する」ことを前提としているため、ついつい他の人や他のものに頼ることを「ずるい」と考えてしまいがちです。まずはそういった考えをなくしてしまいましょう。そもそも人間がここまで発展できたのは、他者と協力し、様々な道具を活用してきたからです。わからないことは人に聞けばいいし、便利なツールがあるなら、どんどんそれを使っていけばいいのです。
私たちの能力は、他人や道具を組み合わせることで何倍にも拡張できます。そうした他者を最大限に活用して、少しだけ「賢くなる」ことを目指していくのです。
読書メモを書くようになってから、1冊の本から得られるものはそれこそ10倍以上に増えました。1冊の本についてじっくりと向かい合うことは「本同士のつながり」を発見することに結びついていきます。
情報は「つながり」が生まれることで価値を生み出します。沢山の情報を組み合わせて様々な場面で活用できる人のことを「知識がある人」と呼び、今まで誰も思いつかなかった情報同士の組み合わせから生まれるのが「アイデア」です。
これらのつながりは、読んだ本が増えれば増えるほどに加速度的に増加していきます。「楽してすぐに成果が出る」なんてことは間違っても言えませんが、読書メモが増えれば増えるほど、今までの何倍も本を読むことが楽しくなることはきっと間違いない、というのは自信を持ってお伝えできます。
そして、なにかを続けることができれば、どんな行動でも成果が自ずとついてきます。
たとえば、読書メモを書こうとする視点で文章を読むことで、新聞でも雑誌でもWeb媒体でも、どんな文章でも一段階高い視点でものごとを考えることができるようになりました。あとから振り返りやすくするノートの残し方は、仕事に関連するノートを書くときにも役立っているし、見つけやすいノートの整理ができるようになりました。
なによりも、さまざまなことを「書いて残す」ようになったおかげで、あの時どんなことをやったっけ?なんてことが起こりにくくなりました。これによって1つ1つの仕事の成果が「使い捨て」にならず、少しずつながら成果を積み重ねていくことができるようになりました。
なによりも、読書メモを通じて身に付けたノート術を、今こうしてObsidianを使い始めてからの2冊目の「本」を書くことに活かせています。
これから紹介していく方法は、決して「効率よくすばやく本を読む」ことや「沢山の本を読む」ことができるようになる方法ではありません。
本書の目的は、この本を読んでくれた方が「読んだ本について堂々と語ることができるようになること」です。
また、そのことを通じて「読書メモ」を書くことを通じて「ノートを書くこと・整理すること」に活かせるようになることまでを目指しています。
とは言え、そこで急いだり焦ったりする必要はありません。効率よくすばやく本を読むことを目指さないのと同じように、安易に「すぐにできるようになること」も目指さないことです。
すぐにできるようになることは、大抵はすぐに忘れてしまいます。
それよりも日々少しずつ確実に進歩し、後戻りがないように少しずつ積み重ねていく。長寿社会においては成果は「急ぐ」よりも「積み重ねる」方が得られるものは多いのです。
こういう感じで週2回以上更新していけば、おそらく出版目標日までに間に合う予定です。(つまり、これから週2回以上の更新が必要になる)
これからひとまずやれるだけやってみます!
「読書メモが増えれば増えるほど、今までの何倍も本を読むことが楽しくなる」私も読書メモをとるようになってから実感するところです。読書メモをとることの最大の動機にもなってます。