大人の勉強をテーマにした連載の第一回です。
これまで書いた記事一覧はこちらから→🎓大人の趣味としての学び - ごりゅご.com
第一回の今回は、ごりゅごがなんで勉強をやる気になったのか、という話です。
20年前を思って「勉強が得意な人」だと勘違いする大人
ごりゅごは、大学に入学するくらいまではそれなりに「勉強が出来る人」でした。地元では一番勉強が出来る高校に入学して、地元では一番有名な大学に入学して、所詮お山の大将レベルではあるんですが、少なくともごく小さな身の回りの世界では「まあまあ勉強ができる人」ではありました。
これが、とても良くないんですよね。現実の自分は、大学を途中でやめてるくせに、過去の栄光にすがり「自分は勉強が出来るやつだ」と思い込んでいる。こういう、まったくもってなんの役にも立たない無駄なエリート意識をどうにか消し去ることができるようになったきっかけがブックカタリストというPodcastを始めたことでした。
ブックカタリストは、Obsidianを使った読書メモの面白さに目覚めたごりゅごが、当時10年来のブログ仲間であった倉下さんと一緒に、順番に読んだ本について語るというコンセプトの番組です。2020年の末ぐらいに始めて、3年ちょっとが過ぎたくらいのところです。
特に明確なビジョンを持って始めたわけではないんですが、何度か倉下さんと喋ってて「俺、なにもかも全然いろんなことを知らんな」というのを思い知らされたんですよ。
倉下さんについては、ものすごく雑な解像度で「同じくらいの感じの人」だと思ってたんですが、Podcastで喋ってみると会話のバックグラウンドに明らかなる格の違いを感じる。
自分がまったく持って知らないような名前、用語が色々出てくるし、それらについて雑な理解ではなく、ちゃんとその言葉について自分のことばで説明が出来る。Podcastで話してて感じたのは、倉下さんは大人になってからもたくさん本を読んでて、同時にそこから多くのことを学んでいるな、ということでした。
と同時に、そういえば大人になってからの自分は、10年前、20年前からなにも変わってない。
もちろん、厳密になにも変わってないなんてことはあり得ないわけではなるんですが「俺、この10年ほとんどなにも学んでなかったな」というのを痛感させられました。
かつての自分は、学校のテストに出てくるものごとというごくごく狭い範囲の学問であれば、それなりに優秀な成績を収めていたけれども、まずそれは20年前のことであること。しかもそのできてたことというのは、大学入試で必要となるごくごく一部の特定の分野の、ごくごく初歩的なものごとについて「テストでいい点が取れる」だけのものであったということ。
さらに言えば、自分はその程度で「できる」と思ってて、そこから20年なにも変化はないわけです。
仮に、10年前に自分と倉下さんが「同じくらいの感じ」だったとしても、それは10年も前のことであり、そこから10年間なにもしてなかった人間と、10年学び続けた人間を比べれば「同じくらいの感じ」であるわけがない。
ちょうど当時の自分が40歳という区切りがよい年齢だったこともあり、この時期に「学ぶ」ということについて改めてよく考えるようになりました。
実は「学んだ期間」ってすごく短いのではないか?
自分は、大人になってから今まで、大雑把に20年生きてきた。仮に大人になるまでの20年すべての期間でものすごく勉強してたとしても、残り半分くらいはまったくもってなにも勉強をしてこなかった。
でも、自分の40年を振り返ってみると、実は20年も学んでたってわけでもないよね?
もちろん、生まれて言葉が話せるようになるまでや、ひらがなや漢字の読み書き、足し算引き算など、それができるようになるまで膨大な量の学習はしてきたけど、それってほとんどすべての日本人ができることです。
じゃあ、自分が「勉強した」と感じるようなものごとって、いったいいつ、どのくらいの期間で学んでたんだろう?それって、時間にしても期間にしても、ごくごくわずかなもので、実はちょっと真面目にやればすぐに身に付く程度のことなんじゃない?
ここでごりゅごさんがすごいのはこの「自分は大したことなかった」という事実を、天然でポジティブに捉えることができることです。
自分が身に付けたものごとは、実はなんてことないもので、ごくごく短時間学べば身に付けられる程度のことだった。
これは事実だけれども、同時にそんなごくごく短時間だけで、わりと簡単に他の人より秀でることができるとも言える。
だとするならば、残りの人生のうちのごく一部の時間だけでも、ちょっと真剣に学ぶことを意識するだけで、圧倒的に「ものすごくよく学んだ人」の段階に至れるのではないか?
ごりゅごは、少なくとも若い時には勉強ができて、人よりちょっとくらいはよい成果を出せていたわけです。大人になってからは全然勉強してないけど、たぶん大抵の大人は自分と同じくらい勉強をしていない。だったら、今からでも遅いないてことはない。ちょっと勉強をすれば、簡単にすげえ出来る人になれる。来週すごい人になることは無理でも、5年後くらいにすごい人にならなれるかもしれない。
そうじゃん。そもそも大学ってたいてい学ぶ期間は4年間じゃないか。5年もあれば、うまく学べばそれに近い成果を出すことだってできなくないはずだ!
こうやって自分が考えたことが真実かどうかはさておき、天然でポジティブは自分は「そうだと信じる」ことならば簡単にできてしまうのです。
あとは、かつての勉強が出来た自分を信じて、そこに大人の知恵を加えて上手に学んであげれば、今からでも十分に「出来る人」になれるんじゃないか。
さらには、そこにObsidianみたいな今どきのツールを組み合わせて、新しい、現代的な学び方を活用してやれば、他人から見たら信じられないような成果を出せるんじゃないか。
こうやって考えたのが、まず自分が「学ぼう」と思い立った第一歩です。
これは「ごりゅごが学ぼうとした理由」ですが、おそらく多くの大人にとって、社会に取り残されず、充実した生活を送るためには「学び続ける姿勢」は必須のものになってきます。
次回は、そのあたりをちょっと考えてみたいと思います。