大人の勉強をテーマにした連載の第3回です。
これまでに書いた記事一覧はこちらから→🎓大人の趣味としての学び - ごりゅご.com
今回は、ごりゅごが「大人の趣味理論」という名前で呼んでいる、大人になってからの勉強や趣味の楽しみ方について整理してみたいと思います。
「大人の趣味理論」という名前が、なんで勉強とつながるねん、みたいなことを思われるかもしれないんですが、結局大人の勉強というのは(いい意味で)「趣味」です。そして、そう考えた方が結果的により多くのことを、楽しく、より深く理解できるようになると考えています。
そのことまで含めて、ここでは考えていきます。
40歳で気づいた、趣味を楽しむ秘訣:何者にもならなくていい
大人の趣味理論、というのは曖昧なタイトルなので、もう少し普通の言葉で説明してみます。
そもそもこの言葉を思いついたのは、自分が20年ぶりに趣味としてのエレキギターを再び始めたことがきっかけでした。
20歳頃までの自分は、ギターを弾くからには、すごく上手に弾けるようにならなければならない。「もっともいい状態」を目指すのが当たり前のことであり、正義である。そんなことを当然だと考えていました。
すべてをギターに打ち込むというわけでもないのに、今うまくない自分は気にくわない。プロになれるとは思っていないし、なろうと思っていないくせに、なぜかプロになることに憧れるし、そうなるための練習をすべきだと思っている。
当時の自分は「なにかをやるからには何者かにならねばならない。一番を目指さなければならない。そうでなければそれを実行する価値はない」みたいなことを勝手に思い込んでいたんですよね。
そのくせに、何者かになるための十分な努力はしていないので、結局ギターはうまくなるわけがなく、うまくない自分に嫌気が差して「これでは何者にもなれない」と考えて好きじゃなくなってしまう。
好きで始めたはずのギターなのに、なぜか自分で「好きにならないための努力」みたいなことばっかりしてたような気がします。
で、そこから20年経って改めてギターを弾いて遊んでみると、そういう変な思い込みはなくなっていたんですよね。
うまくなりたいという思い自体は変わらないんだけど、その過程や、目指そうとする結果が違う。何者かになりたくて練習をするのではなくて、練習の過程自体を楽しみ、上達すること自体を楽しいと思える。同時に「ただの趣味」なので、できないこともあるということを知り、下手な自分に悲観しない。つまらなくなったらいつでもやめればいい、という思いを常に持って望む。
なんて言うか、目の前にあるギターという道具に対して、意味のない憧れや思い込みがなくなって、純粋に目の前のことを楽しもう、と思えるようになりました。
大人の学びに締切は不要
特に大きく変わったのが、時間に関する感覚です。自分の人生は、たぶんまだ40年くらいある。だから、1年2年でうまくなれなくてもいい。10年かけて上達できればそれでいい。そう思えるようになったんです。
これは、学生時代には原理的に不可能な考え方です。高校1年生の時に10年かけてギターをうまくなろうと考えると、10年経った時にはもう学生時代が終ってしまっている。これでは学園祭でヒーローになれない。
そう。この「ヒーローになれなくていい」というのも大人になってから自信を持って思えるようになったことです。ギターはうまくなりたいけど、それはヒーローになるためではなく、もっとギターが楽しくなるために、楽しめるようになるためにうまくなりたい。
褒められたいという気持ちが、完全にゼロになったというと嘘になりますが、別に誰にも褒められなくても純粋に「楽しい」と思うから継続ができる。というか、そういう「楽しい」と思えるものだからこそ「趣味」だと自信を持てるものだとも言えるでしょう。
趣味の絶対基準は「楽しさ」:他者評価からの解放
で、こういう「大人になってから気がついた趣味の楽しみ方」というのは、ギターの練習みたいな趣味だけでなく、もっとありとあらゆることに応用できるんじゃないのか。広い意味でなにかを「学ぶ」という時には、この精神を持って望めばなんでも楽しく継続できるものになるのではないか。
この心の持ちよう、考え方というのを「大人の趣味理論」と呼ぶことにしました。
この言葉は、「大人の趣味には締切がない」だとか「大人の趣味は好きなことだけを学べばいい」「大人の趣味は行為すべてがそれ自体が目的のものである」みたいな使い方をします。
ちなみに、今書いた3つの言葉に、ごりゅごが現在考えている大人の趣味理論の重要なところがほぼ全部含まれています。
大人の趣味理論:自由な学びを楽しむための3つの要素
まず「締切がない」ということ。学生時代の趣味や勉強には、必ず期限が短い締切が存在しました。なにかを勉強しても、その勉強は基本的に定期テストや入学試験のための勉強です。その時までに、わからないことがわかるようにならないと「意味がない」のです。
ギターの練習をしても、決められた期日に人前で演奏することが目標になります。その時までに、かっこいい演奏が出来ないと「意味がない」のです。
大人になればそんな締切は実質存在しません。学びに締切はない、というのが大人の趣味理論の1つ目の要素です。
そして、好きなことだけ学べばいい、ということ。面白いと思ったことを勉強しようと思えば、いつまでもそのことばかり勉強していていい。テストで点を取るための勉強なんて、しなくてもいいのです。
そして、行為自体がすべて目的的であるということ。別に人前でギターを演奏することを目標にする必要はなく、練習が楽しければ、ずっと自分が好きな練習をしていればそれでいいいい。人前で曲を演奏できるようにすることを目標にする必要はなくて、1人でずっと「うまくなるための練習」だけしててもまったく問題はない。
もちろん、1つの曲が演奏できるようになるのが「楽しい」と思うんだったらそれはそれで立派な選択です。ただしそれは、たくさんある選択肢の中から、自分が好きで選んだことである、と理解しておくことが重要です。それが楽しくないなら、やめてしまって問題ないのです。
期限なし、制限なし:自由な学びがもたらす無限の楽しさ
で、こういう観点で「自由に学ぶ」ということをしてみると、実はギターだけじゃなくてどんなことでもめちゃくちゃ面白いんですよ。
わかることを強要されない、覚えることを強制されない。自分が気になることだけを、時間を気にせず好きなように追い求めることができる。
わからない・できないという感覚も、嫌になったらいつでもやめていいと思えれば、逆にむしろ快感といえるくらいで、わからないことがわかるようになるまで試行錯誤することはまったく嫌じゃない。「締め切り」がないと、人間はこんなに自由に学ぶことを楽しめるのか、と驚いています。
学び方を学べばあらゆることに応用できる
もちろん、自分で面白いことを見つけないといけないというのは、自由であるが故の困難を伴います。あらゆることが面白いから、なんでも自分が気になったものに手を出してみたらいい、とか言われても、いきなりそんなものが都合よく見つかるとは限らない。
そこでオススメなのが「学び方を学ぶ」ことです。
なにかを上手に学ぶためには、上手に学ぶための心構え、テクニック、ツールなど、様々なものが存在します。
ごりゅごが言ってる「楽しむ気持ち(興味を持つこと)」も、上手に学ぶための立派なテクニック。というか、興味を持つ、面白そうだと思う、というのはもっとも根源的でありながらもっとも重要な学びのテクニックとも言えるでしょう。
こういうテクニックは、現在は科学として研究され「科学的に正しい」こともたくさん判明してきています。
こういう手法を最初に一定程度身に付けていけば、あとは自分が興味を持ったあらゆることに応用が可能です。
この連載の目標は、こうやって手を替え品を替え「学ぶためのテクニック」をお伝えすると同時に、様々な観点で「学ぶ気になる」ようになっていただくことです。
まずは興味を持つこと。そして、いつやってもいいし、いつやめてもいいと思うこと。学ぶことでできるようになることは楽しいと知ること。
長い人生をできるだけ楽しく生きるためには、こうやってできないことができるようになること、わからないことがわかるようなることをどう楽しむか、ではないかと思います。
5月セミナーの予定(第2土曜日に開催します)
2回目ですが、改めてお知らせです。
5月のナレッジスタックセミナーは、ゴールデンウィークを避けて、5月11日(第二土曜日)に開催予定です。ご理解、ご協力をお願いいたします。