Obsidian Publishで「ブログの次の世界」を実現する
最近、Obsidian Publishを使って考えをまとめていくというのが楽しくなってきて、少しずつ内容を充実させていっています。
Obsidianで実践するアトミックシンキングの記事でも触れているんですが、元々はブログの移転先として考えていたObsidian Publishというやつが、ブログだけではない、ブログ+αな使い方が出来る超面白いものだと感じています。
一つはまず「記事単位ではない書き方」ができるという、ある意味ブログでは実現が難しいことができる楽しさ。
もう一つは、より自由度が高い、自分がコントロールしやすいウェブページを手軽に、便利に扱えるようになったという面白さ。
それぞれの点について簡単にまとめたいと思います。
記事が完成しなくても公開ができる
たとえば今皆さんにご覧いただいているこのニュースレター。このニューへレターが、もしここで終わってしまっていたら、たぶんみんな「なんやねん」と感じるでしょう。全然話まとまってないし、進んでないやん、と。
もちろんごりゅごも同じことを思うので、ここまで書いただけではニュースレターとして公開することはできません。
ただ、それは別にこの段階で公開ができないというわけではありません。原理的には簡単にできるんです。でも、大抵の人はこれを「できない」と感じてしまう。
これは、ニュースレターだけでなく、一般的なブログでも同じことが言えます。ブログもまた、慣れれば慣れるほど心情的に「完成しないと公開できない」と感じるようになってしまいます。
こういう状態になるとね、面倒くさくなって続けられなくなっちゃうんですよ。そして、自分はブログを始めてみても続けられない人間なんだ、という悪いセルフイメージを持ってしまう。
個人的に、Obsidian Publishというサービスは、この問題を解決する方法の1つとして非常に大きな可能性を感じています。
Obsidian Publishを使うと、心情的に「完成してない記事」も簡単に公開できるんですよ。
たとえば自分も以下のようなページを公開してますが、これはまったくもって全然完成していません。
💎Obsidianを使ったアトミックシンキングの実践 - ナレッジスタック - Obsidian Publish
小さな単位で少しずつ自分が考えていることを書いていって、時間をかけて大きな話をまとめていく。そんな目標で少しずつページを更新していっているんですが、これを実践するのにObsidian Publishが実にちょうどいい。
完全にローカルで、自分の手元だけでノートを管理するよりは「見られている」感じがあって、ちゃんと文章を書こうとしつつも、でも同時にこれは「思考の過程」なので完成していなくてもいい。
超簡単に作れる「ホームページ」
数年前から西洋ではこれに「デジタルガーデン」という名前を付けて自分の考えを公開するような人が現われてきています。
ただ、そんな気取った言葉を使わなくても、もっとシンプルにObsidian Publishというやつは(20世紀の頃に多く存在していた)「ホームページ」が簡単に作れるツールだといった方がわかりやすい。
Obsidian Publishは、20世紀に流行った個人のホームページが、超便利になって、超快適に更新できるようになったもの。いってみれば「モダンなYahoo!ジオシティーズ」みたいな感覚です。(自分くらいの世代の人間に対しては)きっとこの方がわかりやすいはず!そう思います。
実際に、Obsidian Publishであればわざわざファイルに名前を付けて、そのファイルに対してリンクする、なんて大変なことをしなくても、括弧をつけて名前を入力すれば簡単にリンクが作れます。
左のメニューバーにどんなノートを表示するかというのも、表示非表示、並び順まで含めて全部自分で直感的にカスタマイズできるようになりました。
permalinkというフロントマターを設定することで、ページのURLも簡単に固定化できるようになりました。
(今はまだちょっと設定が難しそうに見えるけど)独自ドメインでの運用も可能です。
ブログみたいに「勝手に新しいページが作られてリンクされる」なんてことはできないんですが、その分すべてのページの構造を簡単に自由に自分がやりたいように、ほぼ「テキストを書き換えるだけ」で設計できるのです。
過去の自分は「トップページに最新記事を掲載する」ことをブログというシステムに任せてしまったことで、それ以外「自由」が失われてしまっていたんじゃないか?今はそんなことを思います。(かつてのブログという仕組みがあったおかげで「書く」ことに慣れたのは間違いなく、過去の自分を否定したいわけではない。時代が変わりつつある中で「ブログ」という方法論以外の可能性を考えることができなくなっていたことを反省している)
個人に焦点をあてた情報発信の形態
なによりも重要だと思うのが、こういう形式での情報発信を行うと中心が「自分」になるということです。
Obsidian Publishは「自分が考えたこと・自分の好きなこと」を公開する場所なので「ナレッジスタック」みたいなのじゃなくって「ごりゅご's ホームページ」という感覚があるんですよ。
これはまだ、自分の感覚の違い以上のものはきちんと言語化できないんですが、こういった形態のページが増えることで再び「面白いページ」が増えてくる期待を持っていたりもしています。
ブログみたいなものを十年以上続けてきて、長く続ければ続けるほど「長く残るものを作る」ことの難しさと、その価値。そしてそれを目指していくことの楽しさ、みたいなものについて考えるようになってきました。
もちろん、ブログというものには自分の考えのアーカイブとして十分に価値あるものだとは思うんですが、大半は「他人にとっては無価値なもの」になってしまう。(そんなものしか自分は残せなかった)
で、逆説的な気もするけど、長く残るものっていうのは結局、長い時間をかけて完成させたものだとも思うのです。
そういうものを作る方法としてのObsidian Publish。
今どきの「無料ブログ」と違い、Obsidian Publishを使うにはお金がかかります。しかも、一般的なアフィリエイトをやろうとするには、まったくもって相性がいいとは言えません。お金を稼ごうとしてやるものじゃありません。
ただ、なにか伝えたいこと、言いたいことがある人って結局お金を払ってでもいいたいことがある人で、やっぱそういう人が書いてるものって高い確率で面白いんですよね。
かつてはそれが自費出版という方法だったり、サーバを借りてホームページを運営することだったりしたんですが、Obsidian Publsihはそういうタイプの人に向けて存在するサービスだと思います。
自分自身は、これまでウェブを使ってお金を稼ぎ、今は「有料購読」という形態でウェブを使って生きていこうとしてる人間です。そんな自分の発言に大いなる矛盾があることを自覚した上でこんなことを言ってるわけですが、根底には「言いたいこと」があって、それをいろんな人に伝えたい、というのがすべての活動の原点です。
もしObsidian使ってるなら、Obsidian Publishで情報発信というものをやってみても面白いんじゃない?
そんなことがいいたくてこんな記事を書いてみました。