💎ゼロから始めるObsidian シリーズ第10回です。
ここしばらく「新しく作ったギター練習用のObsidian」の話を書いてませんでした。その理由はシンプルで、ここしばらくは特になにも新しいことをしていなかったからなのです。
基本的に、日々Obsidianを見ながらエレキギターの練習を行い、やったことと、それに対する感想、成果などを日々デイリーノートに書き込んでいく。
やってたことはほとんどすべてこれだけです。
大きな変化がない = ベストの環境が見えてきた
Obsidianの保管庫に大きな変化がないという状態は、ニュースレターを読んでくださっている方にとっては面白みに欠けることかもしれませんが、ごりゅごの主観的な感想としては「これでいい」という状態がある程度見えてきた、ということであり、むしろそれはよいことなのです。
Obsidianを使ってのギター練習は、ほぼずっとこのサイクルをまわし続けることで想定以上にいい感じで継続ができる、ということがわかってきました。
練習に使える素材を見つけて保存する
練習メニューを考えたテンプレートに保存
デイリーノートを見ながら練習して記録する
ある程度時間と心に余裕があるという前提があるとしても、5月からほとんど休みなく毎日1時間程度の練習を続けて、少なくとも合計で100時間以上。きちんと練習時間の記録をつけ始めた7月29日から9月23日までの54日間の記録を振り返ると、その期間に合計で52時間ほどの練習が出来ています。
たぶんこれ、自分が大学生の時にエレキギターを弾いてたときより練習時間多いんじゃないかな、ってくらいのレベルで、うまくなったかどうかはさておき、めっちゃ楽しく遊べています。
これだけ楽しめているのってなんでなんだろうって考えてみると、大きく2つの理由が思い当たりました。
まず一つは、純粋なテクノロジーの進化。
当時は考えられないほど自由で多彩な音色を、iPhoneやiPadだけで奏でられてしまうこと。iPhoneとiPadを使って、デジタルで本や楽譜を閲覧できること。練習用の伴奏音源も簡単に揃うし、テンポをゆっくりにすることだって簡単。
数万〜10数万円程度の予算で(iPhone含む)当時は100倍くらいのお金を出さないと手に入らなかったような環境が簡単に手に入れられてしまう。しかもその環境は当時よりも遥かにコンパクトで身軽で、本当にもうなにもかもが20年前とは完全に別世界。
こういう環境のおかげで、楽しく快適に練習が出来る、というのは1つの要素としては間違いなく存在しています。
ただ、だからと言って継続できてる理由は「いい環境」だけではないな、とも感じています。
もう一つ大きく変わったのが「上手に楽しく練習する方法を自分で上手に考えられるようになったこと」なのです。
簡単に言えば、当時の自分よりは今の自分の方が賢くなって、どうやったら楽しく上手になれる練習が出来るのか。それを考えることができるようになったのです。
もちろんこれも、当時より情報が充実している、というのも理由の1つなんですが、一番大きい理由は「デイリーノート」なのではないかと思っているのです。
記録に残ってる俺は超ヘタクソだった
ギターの練習という「わざ」を身に付ける行為は、本当に道のりが長いです。
100時間以上練習しても、個人的な感覚としては「練習始めたばっかり頃となにも変わらん」くらいにしか思えません。もちろん個人的に「簡単に身に付かないから楽しい」というのは頭では理解して、それこそが練習を続ける理由なんですが、やっぱりちょっとくらいうまくなってると思いたい。
で、そうやってちょっと悲しくなりながら過去の記録を振り返ってみると、過去の自分は今の自分と比べ物にならないくらい下手なんですよ。
今の自分は、確かに下手である。だが、過去の自分はそれよりももっと下手なのである。つまり、今の自分は、少なくとも過去の自分より上手になっている。ならば、練習を続ければ高い可能性で今よりも上手になることが期待出来る。
なんかこれ、目標テンポ170って書いてあるのに、未だにテンポ120でも付いていくことすらできない。全然ダメやん。おれヘタクソすぎるだろ、とか思って過去の記録を見るとほんの3日前に「テンポ100でまったくついていけない」とか書いてる。
練習フレーズようやく1個弾けるようになったと思って、次のやつを練習してるんだけど、いつまでたっても2個目が弾けるようになった気がしない。もう2週間以上ずっと練習してるのになあ、って過去の記録を見ると、1個目の練習フレーズが弾けたと思えるようになるまでには4週間以上かかってた、ということがわかる。
こうやって記録を振り返ると、本当に人間というやつはいかに「目の前のこと」しか見えていないのかというのを思い知らされます。
記録マジ有能。
記憶だけで練習してたら、いつまでたっても上達が実感せず、やめてたかもしれないのに、記録のおかげで「おれめっちゃうまくなっとるやん」というのがわかる。そして、うまくなってることがわかるから、練習する気になって、練習するからうまくなれる。
ヘタクソな記録が「うれしいこと」につながる
『ロギング仕事術』を読んで一番印象に残っているのは、記録を残す時には「うれしいこと」に注目するというフレーズでした。
面白いことに、自分が「うれしいこと」だと感じられた記録は、自分がヘタクソだった記録だったんですよね。
当時ヘタクソだと感じた自分は、今の自分よりももっとヘタクソだった。これがわかることで「うれしくなって続けられる」状態になっていました。
これは結局、記録を残す時にいかに「正直な感想」を残すことが重要なのか、ということの現われだと考えます。
どうせ自分しか見ない記録なんだから、下手な見栄などを一切気にせず、なにがよくないのかをきちんと見極め、それを記録として残しておく。(音楽の場合、客観的に自分の演奏の良し悪しを見極めるために「録音」が重要だったりするんですが、そういうテクニカルな部分も、これまたある程度うまくなってから考えればいいことです)
こういうことを、わりと見栄を張らず、正直に記録できたことこそが、今現在も楽しく練習できている理由なんじゃないのかな、と思っています。
最後におまけで、デイリーノートに残していた練習記録を紹介します。(すべて「本物」の記録ですが、それなりに「見栄えがいい記録」を選んでいるというのを差し引いてご覧ください)
Keep reading with a 7-day free trial
Subscribe to ナレッジスタック to keep reading this post and get 7 days of free access to the full post archives.