今回のテーマは発表です
ナレッジスタックへの連載を始めてから半年以上が経ちました。
あらためて、自分の文章を読んでくれる人がいることはとてもありがたいことです。今考えても不思議な感覚になります。
元を辿れば私の存在をごりゅごさんが知ってくれたことがきっかけです。そのきっかけは、今回テーマとしたい「発表」です。文章を発表する、読書会で発表する、ポッドキャストで発表するといったように、いくつかの発表の結果、ごりゅごさんにお誘いいただき今の状況に至ります。
発表歴は1年程度なので、まだまだ新人のようなものですが、そんな発表を始めたばかりの自分だからこそ書けることを今回は書いていきます。
結論から言うと、発表してみたら今のところ良いことしかないと感じていて、そのことについて書いていきます。
発表という表現について
今回の記事では発表という表現を使います。先日配信されたうちあわせCast138回で発表と言っていて良い表現だと思ったからです。これまではアウトプットや発信という言葉を使っていたのですが、どちらの言葉もそれほどしっくり来ていませんでした。発表という言葉には、場所や規模などはさまざまでも、何かしらを他人がいる場所に公開するようなイメージがあり、それがしっくり来ました。
発表することで賢くなる
私が現在行っている発表は主に文章を書く、話すの2つです。これらの経験を通して思うのは、書いたり話したりすることで学びの効果が明らかに上がっているということです。このことは私が説明せずとも皆さん自身の中にある感覚だと思います。「アウトプットこそ最強の思考術である」的なことは言い尽くされた感はありますが、これは真実だということがわかりました。
例えば、この連載ではデジタルノートツールを中心とした考えについて書いています。毎回それなりに悩んで書いているのですが、1つの投稿を書き上げると必ずデジタルノートについての理解が増していきます。感覚でしかありませんが、書かなかった数ヶ月よりも、書いた数ヶ月の方が明らかに理解度が増している気がします。
つまり、発表によってより賢くなれているわけです。この発表によって賢くなる効果は、発表のうれしいことの一つだと思っています。
発表すると自分の枠を越えられる
さらに、発表すると思いがけぬことが起こります。この思いがけぬことが起こることも、発表の重要な価値だと考えています。
冒頭にも書きましたが、こうしてナレッジスタックに寄稿をしていることもそうです。1年前の私はこんな風になっていることを全く想定していませんでした。発表を通して、ごりゅごさんに自分が全く想定していなかったところに連れてきてもらった感覚があります。こうした経験をしてみると、一個人が想定できることは限られるのだと思い知らされます。
予想できない出来事が生じるだけではなく、シンプルに思考も深くなります。ありがたいことに、私が書いたことに対して読者の皆さんが反応してくれることがあります。これによって思考のための多くのヒントが得られます。コメントをいただく場合はそのコメントが直接参考になりますし、いいねであっても数によって発表への反応がわかり、間接的に役に立つことがあります。いずれも発表してみるまではわからなかったことです。
『脳の外で考える』にも、人と共に思考することの重要性が強調されています。賢くなるためには自分一人で考えることも重要ですが、それには限界があり、その限界を越えるには人と思考するしかないわけです。とすると、発表はまさに賢くなるための行動と言っていいでしょう。
発表した時点で失敗はない
発表のために行う準備によって人は賢くなれる、発表したことによる思いがけぬ反応に自分の枠を越えることができるわけです。良いことづくしです。
とはいえ、発表には緊張感が伴います。それを乗り越えるために私が心がけていることを書きます。
私は普段からデジタルノートツールを使って文章を書いています。ただ、それは非公開の文章であり、気軽に書くことができる文章です。うまく書けないこともありますが、特に気にしたりはしません。
一方で、ナレッジスタックに書く文章は公開される文章です。そのため、投稿されてからリアクションがあるまでは緊張します。多少は慣れてきましたが、もともと人の目を気にしてしまう性格なので、この緊張がゼロになることはない気がします。投稿ボタンを押すまで、少しためらう時間が毎回あります。
そんなときには、発表した時点で失敗ではないと自分に言い聞かせます。例えば、文章であれば、発表しなければその文章は自分一人のための文章です。しかし、発表をすればそれは自分一人のための文章ではなくなります。もし誰かが読んでくれれば、2人のための文章になります。ナレッジスタックの寄稿は書けば少なくともごりゅごさんのための文章になるので、この時点で失敗が存在しないことになります。
また、発表することは、他人と一緒に考えることを宣言することでもあります。私の思いや考えを知らせることで、誰かと一緒に考える土俵に立つことと同じです。こんな立派な行動をしているわけですから、発表をした時点で成功であると思うようにしています。
以上の考えは投稿ボタンを押すために自分を奮い立たせる大袈裟な考えではありますが、実際に一理ある考えだと今では思っています。
実際に発表をすると、「書いてよかった」「話してよかった」という気持ちも生まれます。これは今のところほぼ100%です。私にとっては入浴に似ています。入る前は面倒だけど、入ると必ず入ってよかったと思うやつです。
もちろん、発表のあとには毎回必ずと言っていいほど後悔はあります。私の性格の問題もありますが、「もっとうまく書けたのに」「本の良さを伝えきれなかった」といった後悔です。
しかし、それは悪い後悔ではありません。「次はこうしたい」「本来であればできた」といった向上心のようなものの裏返しでもあるからです。もしかしたら後悔という表現以外にいい表現があるかもしれません。
トータルで考えて、発表したことで失敗したと評価できる経験は今のところありません。
発表の場を作る
ナレッジスタックへの投稿は私にとって大きな発表の場の1つです。冒頭に書いた通り、ごりゅごさんの力がなければほとんどの方に私の文章は届いていないはずですが、幸いごりゅごさんの力を借りることで私1人の力では届けることができなかった方たちに発表することができています。
小さな場として自分のSubstackや公開用のScrapboxも持っています。こちらはフォローをしてくれるような人に発表する場として活用しています。
ブックカタリスト読書会も私にとっては発表の場です。あの場は文章ではなく話すことが中心ですが、これも発表の場であることには変わりありません。毎月1回、本の良さを伝えるために発表できる機会は貴重な機会です。
発表の方法は、文章でも話すことでもどちらでもいいと思っています。個人的には文章を書けるようになりたいと思っていますし、説得的に話すことができるようになりたいとも思っています。どちらにも共通するのは、他人に対して自分の考えを公開するという行為だということです。それができればどんな場所でもどんな方法でも問題はありません。
今回は発表というテーマでここまで書いてみました。ここまで書いてみて、発表の機会をもっと増やしたいと思いました。これも発表の効果の一つです。発表はいいものだと自分で書いたことで、あらためて発表は大事だと自分に思わせることができました。
この投稿が公開された後に、どんな反応が来るのかも今の時点ではわかりません。しかし、この記事で書いたように、発表する時点で失敗ではないんだ精神で待とうと思います。