2週間に1回くらいをめどにお届けする予定の「週刊ナレッジスタック」的な雑記コンテンツです。
セミナーのお知らせや、1記事になり切らないけど面白いもの、結論をきちんと言語化できてないけど興味深いと思ってることなどを紹介します。
今回は、ちょっと先ですが7月のセミナーに関するお知らせと、その理由になった環境の変化について。
今年度は、地域の「神社委員」という役職にあたり、結婚して以来最も忙しい1年を過ごすことになりそうです。(現在2回ほど集まりに参加した。他の神社よりかなりお祭りなどが多いらしい)
それに伴ってまず、7月のセミナー日程を変更させていただかなければなりません。7月は、1週の7月1日ではなく、7月8日(土)21:00からセミナーを開催します。
7月1日は朝から晩(おそらく22時くらい)までお祭りの準備と実行があり、さらに次の日も朝から後片づけです。そこらの企業よりも圧倒的にブラックな環境です。ただ、こんな超ブラックな無償奉仕ではありますが(今のところ)これはこれでなかなか斬新な体験で、たくさんの発見があって面白いです。
まずなによりも面白かったのが、この神社という組織に中の人が誰一人存在しなかったこと。(他の神社がどうなのかはわかりませんが)神社の「関係者」はすべてが地域の人間同士の持ち回りによる運営です。神社の近くにある複数の町内会から毎年1名ずつ「神社委員」が任命され、そうやって集まった各地域からの人々の運営によって神社という組織が機能しています。特に驚きだったのは、現在は神主さんも「外注」の人だということ。その方は地域の何十という神社の神主の仕事を兼務しているらしいです。 おそらく土日はめちゃ忙しいけど、これはこれでわりと儲かる仕事なのかもしれないです。
細かな仕組みは年々少しずつ変化してきているみたいですが、大雑把にはこんな形式ですでに1500年くらい続いてきているんだとか。最初の集まりで神主さんからそんなことも教えてもらえました。
また、神社には中の人など誰もいないのに、神社はけっこう資産も持ってるみたいで、わりと広範囲で周りの土地を神社が所有していて「不動産経営」によるお金なんかも入ってきていて、それによって建物の維持なんかもできている様子。
こんな話を聞いて自分が思いだしたのが『サピエンス全史』という本でした。
『サピエンス全史』では「共同幻想」による協力こそが人類を人類たらしめた、というようなことが書かれていましたが、この「神社」という存在がまさにそんなものだという感覚があります。近隣住民同士で「神社」という想像上の存在を共有して、皆が存在しない「神社」のために働いて、その土地や家屋が維持され、祭りまで毎年開催されている。一応「委員長」はいるんですが、いわゆる「社長」とはやはり異なったイメージ。誰が運営しているというわけではなく、確かに自分も「神社」という存在を認識して行動しているような感覚になってきます。
もちろん、現在それが成立している環境は非常に脆く不安定で、資本主義的に考えると無償で働く神社委員がいなければ確実に「倒産」するような組織です。ただ、それは「資本主義」だったら「倒産」するものかもしれないけれども、神社というものは資本主義が存在する遥か昔から地域に存在し、地域によって運営されている。ちょうど去年くらいから「地域社会」だとか「コミュニティ」といったものについて考えていたところでこうした経験ができるのはなかなかに運命的なものを感じます。
なによりもおれ、生まれたときからこの土地に住んでて、人生で何回もお祭りを経験させてもらってるんですよね。ちょうど去年も息子を連れてお祭りに行って、そこでもいい体験をさせてもらいました。そうした恩恵を省みてみると、一生に一回くらいはできる限りの協力をするのもアリなのかな、とわりと素直にそう思えています。
ちなみに、神社の集まりでは久しぶりにたくさんの「紙」との対面もありました。神社の情報共有のベースも、前任の人から引き継ぐ資料も、もちろん紙です。久しぶりにScanSnapが大活躍しました。
ここ何年も、情報共有ベースを電子媒体にしてきたせいで忘れてましたが、特に幅広い年齢が関わるとなると、まだ圧倒的に世界は紙ベースで動いているということを身をもって知らされています。
そう考えると「紙と電子データをいかにうまく共存させていくか」ということもこれから改めて考えていく必要がありそうです。
だいたいのことは「スキャンしてカレンダー」「スキャンして写真アプリ」「スキャンしてObsidian」で済ませていますが、これらも新しい発見があれば共有していきたいなと思います。