2週間に1回くらいをめどにお届けする予定の「隔週刊ナレッジスタック」的な雑記コンテンツです。
セミナーのお知らせや、1記事になりきらないけど面白いもの、結論をきちんと言語化できてないけど興味深いと思ってることなどを紹介します。
万年筆習字
2023年の8月から、妻harunaに影響を受けて「万年筆習字」的なものを始めました。だいたい1日30分くらいの時間を使って、朝活書写のお題を書いたり、そこで出てきた字の書き方を学んだりしています。
5年前の自分から見たら、本当にありえない出来事であると自分でも思うんですが、いちおう色々と理由や考えがあっての試みです。
きっかけは、夫婦間のコミュニケーションからでした。2023年の暖かくなった時期くらいから?harunaさんは万年筆に目覚め、大量の万年筆を買い込んで、日がな万年筆を握り、紙上で戯れているようになりました。そこでなんとなく自分も万年筆を借りて文字を書いてみて、そのままなんとなく自分も始めてみた、という曖昧なもの。思い立って「俺も字がうまくなりたい」とかそういうことを思ったなんていうのは全然ありません。なんとなくが一か月続いているだけ、くらいの気持ちです。
あ、そういえば当初は、両親が共に字を書く練習をしている姿を見せて、くっそ雑な文字しか書かない(自分が書いた数字を読み間違えて計算を間違えたりする)小3の息子が多少丁寧な文字を書くことを心がけたりしないだろうか、という目論見もあったような気がします。
最初の最初こそ原稿用紙に文字を書いてみたんですが、それ以降は「ジャポニカ漢字学習帳」みたいなやつ(息子のお古)を使って、マジで小学生が漢字を練習するようなノリで文字の練習をしています。
とにかく最初はまず、ペン先を思った場所に置いたり、止めたりすることができない。これに苦労しました。
文字って、書き始める場所、止める場所が1ミリずれるだけで簡単にへたくそな字になってしまうんですよね。まず自分は、そのレベルでのペン先の調整が出来ない。そのことを思い知ったと同時に、上手に文字を書くには1ミリよりも細かな精度でのペン先の調節が必要であるにも関わらず、多くの人間がそれをさほど苦もなくこなすことができてしまっている、という事実。なんというか、人間という生物の偉大さを思い知ったような気もします。
ここまでは主に「肉体の操作」の話なんですが、それ以上に興味深かったのは「イメージ」の力。
人間というのはすごいもので、ミリレベルでのペン先の調整程度であれば、1日30分の練習を数日続ける程度で、ある程度は思ったようにコントロールできるようになりました。もちろんまだまだそれも初歩的なレベルをクリアできた程度であることは分かってるんですが、ペン先のコントロールができるようになってわかったのが、そもそも自分は上手な字というものをイメージすることができていなかった、ということです。
漢字を書こうとするとそれが特に顕著なんですが、たとえば「時間」の「間」という漢字を書こうとするとき。まず「門がまえ」の門を、1マスの中のどのあたりから書き始めて、どういう大きさで書けばいい感じになるのかが分からない。「階段」の「階」という漢字を書こうとするとき、こざとへんは左側半分を埋めちゃっていいのかがわからない。比べる、の部分は、右上4分の1に収まった方がいい?白って文字とかは、縦長にした方がかっこいいって学んだけど、それは「階」という文字を書くときにもそうした方がいいの?そうだとすると、比べる、という部分が白の部分より太すぎると、これも変だよね?
(そもそも書道、習字などを始めるときに、お手本があった方がいいとか、先生について学んだ方がいいとか、いろいろつっこみどころはあるかもしれないんですが、そういうことはいったん置いときます)
よくよく考えてみれば、こうしたきちんとした漢字の書き方なんて、それこそ小学校で最初に漢字を覚えた時以降、一度もまともに考えたことなんてなかったのです。そして、漢字を覚えた時に美しい文字に興味がなかった自分は「読める漢字の書き方」「テストで○がもらえる漢字の書き方」以上のことなんて考えたことがなかったのです。
「字がうまくない」ことの大きな原因は「上手な字をイメージできないこと」だった。これは大きな発見でした。
自分は、字を書くのとか絵を書くのとかが、苦手で、下手で、好きでない。これは40年くらいずっと思ってきたことではあるんですが、はじめてその原因がわかったような気がします。一番足りないのは「イメージする力」で、肉体を上手に動かせないということはさほど大きな理由にはなっていなさそうなのです。
こういうことって、文字とか絵がうまく書けるかどうかというものだけでなく、あらゆる勉強やスポーツ、芸術でも、かなりの部分で似たような話がありそうです。
速く走ることができないのは、速く走る体の動かし方が分からないから。ボールが狙ったところに飛ばないのは、狙ったところに飛ばす動きが分からないから。上手に楽器が演奏できないのは、そもそも上手な楽器の演奏を脳内で再現できていないから。
そして、大人になった今ならば、こうした課題に「勉強力」で対処ができます。今まで自分が経験してきたあらゆることは、もう一度大人の視線で振り返ってみるとどれも信じられないくらいに簡単に上達できるんじゃないか。そんなことも思ったりしてきています。
(現代はさらに、簡単に動画が撮影できるツールがあるというメリットも加わります。これで簡単に自分の動きを客観的に確認できる)
『たいていのことは20時間で習得できる』という本がありますが、こうした目線でいろんな「できなかったこと」に挑戦してみることで、自分が想像もできなかったような「なんでもできる人」になれるんじゃないだろうか、なんてことも思うようになりました。
「なんでもできる人」がかっこいいとかそういうことじゃなくて「なんでもできる」と思うことができれば、あらゆることに前向きに挑戦できるというマインドが身に付くようになると思うんですよね。
そして、そういうマインドを持つことこそが、あらゆることができるようになる秘訣なのだとも思います。そうやって新しいできごとから新しい刺激を受けとることは、より楽しい、充実した人生を送ることにもつながるような気がするのです。
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最後におまけで、ごりゅごのくっそ下手な字と、一か月経過した「自称・人並みレベル」の文字をご覧に入れましょう。
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