ごりゅごが「つらくない練習をする」という記事を書いたちょうど同じタイミングで、ごりゅごの音楽師匠うりなみさんが、同じく練習論について大変素晴らしい記事を書かれていました。
ハードコア・パッドスタイル番外編 練習時間について考える - 薙刀式をやって感じたこと|うりなみ
うりなみさんが「薙刀式」を学んで「練習全般」について考えたことをまとめた、という内容の記事です。
多くの人は「練習」や「学ぶ」ことに対して、どこか苦痛や義務感を抱いているのではないでしょうか。この記事には、「練習」や勉強がもっと楽しく、もっと効率的になる素晴らしい手法がたくさん紹介されていました。
主題は「音楽の練習」の話なんですが、かなりの部分が「書いて考える練習」「アトミックシンキング」という切り口でも応用できるし、もっと大きく「学ぶ」こと全般にも応用できる内容だとも感じました。
とてもオススメなので是非読んでみてね、というのがメイントピックなんですが、それでは(ごりゅごにとっての)意味がありません。
こういった「知識」を「身体化」するためには、読むだけじゃダメなんですよ。
なにをするか?
学んだことを身体化するための基本は、学んだことを自分の言葉でノートにまとめることです。(アトミック・シンキング)
そしてさらに応用的な技として「学んだことを自分の語り口で語り直す」という方法があります。
つまり、上記記事で書かれていたことに、ごりゅごなりの解釈を加えて、広い意味で「学ぶ」ことに応用した考え方で整理する。手間暇かけてこういうことをすることこそが「俺が一番学べる方法」であり、同時に他の人の役にも立つ行為ともなりうる。
ということで、上記練習論を踏まえてのごりゅごなりの「練習」についての話をまとめてみます。
疲れたら練習はするな
ハードコア・パッドスタイル番外編 練習時間について考える - 薙刀式をやって感じたこと|うりなみ
この話の主題を自分なりに解釈して一言でまとめると「長時間の練習は重要ではない」どころか「初心者は長い時間練習すると下手になる」ことすらある、というもの。
それが「疲れたら練習はするな」という見出し一言に集約されています。
「練習」で目指すことが「脳内シナプスをよりよい形でつなぎ変えること」だと考えると、この言葉の意味が様々な観点で理解、納得が出来ます。
まず、疲れて集中力がなくなってくると、練習中に「間違える」ことが増えてきます。
実はこの「間違える」というやつは、ものすごく警戒しないといけないことなんですよね。
人間のからだは、同じ動きを繰り返せば繰り返すほどその動作に使われる脳内シナプスの結合が強くなる。
つまり、間違った動作というのを繰り返してしまうと、どんどん「間違えた動き」をしやすくなってしまう。
そして、間違えた動きがしやすくなればなるほど、今後もどんどん間違えやすくなり、その動きを「忘れる」のがどんどん難しくなっていく。
つまり、集中力がない状態で難しいことをやればやるほど「間違えるための練習をしてしまっている」とすら言えてしまうわけです。
だとすれば、そんな練習は「やらない方がいい」ということも強く納得できます。
だから「疲れた状態で練習はするな」というのがまず覚えておきたいだいじなこと。
初心者の練習はせいぜい30分
そして、疲れたら練習はするなという理論を踏まえると、もうひとつ「練習時間」に関する重要な示唆が得られます。
それが「初心者の練習はせいぜい30分」という話と、その理由。
これは「疲れたら練習するな」という話とつながっています。
初心者というのは、その分野のものごとに「慣れていない」から初心者と呼ばれる状態。そして、その動作に対する経験値が少ない = 脳内シナプスが未発達の状態であることを意味します。
完全に新しい物事を学ぼうとする時って、認知の負荷がめちゃくちゃ高いんですよね。「ゼロから動きを覚える」ことは「疲れやすい」
なので単純に言うと、上級者と比べると初心者は(脳みそが)「すぐ疲れる」ということです。
初心者が集中力を持って間違えずに練習が出来る時間は非常に短い。だから「疲れたら練習するな」理論に基づくと、ほんの少しの時間練習しただけですぐに「練習するな」のタイミングがやってきてしまう。
その目安として、十分に集中した状態が保てるのはせいぜい「30分」だと言うことです。(実際はもっと短くても十分らしい)
だから、この30分は、とにかく集中して望む。ダラダラ3時間練習するよりも、30分集中して練習した方が圧倒的に成果が上がると信じて、その30分に全精力を傾ける。
脳は、強く意識されたことを「重要だ」と判断して、優先的に記憶に定着させようとする。だから、短時間でも集中して練習すれば、必ず効果は出るんです。
つまり、集中することは「これは重要なこと」だと脳に思い込ませて、優先的に記憶に定着させようとするためのスイッチだとも言えるのです。
「大事だと思うと覚える」というのは脳科学系の本を読んでるとよく出てくる話です。
それを「学ぶ」ことに応用すると、結局「たくさん練習した方がいい」という思い込みを捨て、短時間で集中して練習する意識を持つことである、と言えるわけです。
「練習計画時間」を練習時間にする
とは言え、気分的に30分程度練習しただけで上手くなれる気がしない、という感覚はよくわかります。
ここからはごりゅごの個人的な解釈なんですが、その「気分」のギャップを埋めるために役立つのが「計画や記録の時間を練習時間に含める」という方法です。
たとえば楽器の練習って、楽器を触ってない時間は練習をしていないように感じてしまいがちですが、練習にまつわるあらゆること(勉強や計画、振り返り)をすべて「練習時間」としてカウントしてしまうのです。
特にこれは楽器やスポーツなど主に環境の問題で「限られた時間・場所でしかできないこと」に対して有効な方法です。限られた時間しか練習ができない場合は特に、限られた時間を最大限に活かすための「計画」が非常に重要になってきます。
たとえば30分の練習時間が確保できたとして、最初の10分はまず10分練習を実施する。そして、次の10分間で新しいコード進行を覚えて、残り10分は「自由に遊ぶ練習」をする。(意識的に「自由に遊ぶ練習」というのも重要)
こういうことを、常日頃の楽器を触れない時間でいつも考えておいて、実際の練習では計画書を見ながらてきぱきと練習する。
練習時間が終わったら、練習を振り返りながら、実際に行った練習内容や、その時にどんな感触だったのかをできるだけ詳細に記録に残す。
特にこういう練習計画は、初心者の時期であればあるほど適切な練習内容がどんどん変化していくので、常に自分のスキルレベルを意識して、それに合わせて変えていく必要があります。
そうやってたくさん計画を立てたり記録を残したりしつつ、この計画とか記録の時間も、練習の時間だとカウントしてしてしまう。楽器の練習で言うならば、楽器を触ってない時間でも「練習時間」としてカウントする。
そうすれば、1日30分しか練習時間が確保できないと思う日常でも、合計すれば1時間とか2時間は「練習」ができる。
実際、こういう計画とか記録って、上達のためにはめちゃくちゃ重要なんですよ。
ただ、どうしてもこういう時間は「練習ではない」と考えてしまい、それをおろそかにしてしまいがち。
そういう意識を変える目的でも、計画と記録の時間を練習時間に含める、というのは有効です。
20年前、楽器が上達できなかった時期のことを振り返ると「練習」という言葉は存在していても、そこでなにを練習するのか、なんの練習をするのか。そういう意識、感覚を持たないまま、気の向くままに楽器を触っているだけでした。
当然、その日なにを練習したかなんて「記憶」にしか残っていない。それどころか「何を練習したか考える・覚えておく」なんていう概念すら存在してなかったかもしれません。
やる気がない時をいかに乗り切るか
もちろん、こういう計画と実践を完璧にこなすのってなんだかんだとてもキツいです。ここまで書いてきたことはあくまでも「理想論」であり、理想通り常に行動できるわけではありません。
そもそも「趣味」にそんなストイックなことを求めない、というのも人生の選択肢としては十分に価値ある判断だと思います。
ごりゅごは「上手くなることが楽しい」タイプで、けっこうこういうことは楽しめるタイプではあるけど、それでも年単位でモチベーションを高く保ち続けるのは簡単ではありません。
ただ、そういう時には「ダラダラ記録を眺める」ことでモチベーションをアップできたりはするんですよね。(経験によって、やる気がない時はこうするといい、という解決方法も身に付けてきた)
ヘタクソだった記録こそが「うれしいこと」につながる - by goryugo - ナレッジスタック
そして、個人的な感覚としてはこういう記録はまだまだ「紙だといいことが多い」分野だと思います。
実際に練習をする時や、練習記録を振り返る時に、意図せず前後の情報も目に入ってくる。なんとなーく眺めてるだけで、自然に昔の記録が目に入ってくる。この効果はバカにできません。
「上手になることをモチベーション」にできるタイプの人は、特に「下手だった記録」を残しておくことは有効です。
ふと「昔の練習」なんかをやってみたりすると「めちゃくちゃ上達しとるやん」て実感できるんですよ。
そして今回から、それに加えて「30分しか練習しない方がいいマインド」が加わります。
1日30分でめっちゃ上手くなる、という自信が持てるならば、集中して10分練習するだけでもかなり上手くなるであろうことは予想できる。
だとするならば、もっと上手くなりたいから、10分くらいは集中して練習しよう。そういう風に考えることができるようになる。
また、初心者は「1日30分しか上達できる時間がない」(2日に1回1時間の練習は集中力が続かない)と考えることで、ほんの少しでもいいから、今日練習しておかないともったいない、という風にも考えることができるようになりました。
こう考えることで、だいたいどういう時でも「まあ10分だけでいいから練習しておこうか」と考えることができるようになりました。
弾けない時でも上達はできる
ハードコア・パッドスタイル番外編 練習時間について考える - 薙刀式をやって感じたこと|うりなみ
ピークエンドの法則や睡眠の重要性など、他にも示唆に富む内容がたくさんあったのですが、なによりも素晴らしいと感じたのが「弾けない時でも上達はできる」というフレーズですね。
練習が「脳の練習」だとするならば、身体を動かさず、脳でその動きをイメージすれば、同じ部分のシナプス結合は強まる。
簡単に言えば、からだを動かさない「イメトレ」だけでも上達ができるということ。
「イメージトレーニング」って、それ自体がとても高度で難しいトレーニングではあるんですが、少なくともイメトレで上達できるという意識が持てるようになるだけでも普段の練習に対する意識は大きく変わります。
イメトレで上達できるならば、ありとあらゆる時間を「練習時間」にできるわけですからね。
「計画」「記録」「イメトレ」が全部練習だと思えるならば、楽器を触る時間は30分しかなくても、日々の隙間時間を合わせればその何倍もの時間を「練習時間」にできる。トイレ行ってるほんの少しの休憩時間でも練習が出来る。
人間ってよくも悪くも単純なので「たくさん練習しているという感覚」が自信につながり、それが結果的に上達につながっていくこともあるわけです。
そういう意味では、あらゆることを「練習」だと思えるマインドというのは、上達のためにも非常に役立つ考え方です。
特に音楽なんて、音楽聴いてる時間もめちゃくちゃ重要な「練習時間」なんですよ。ある意味で最強かもしれないですよこれは。仕事中も全部練習の時間にできちゃうんですからね。
書くこと・考えること・学ぶことへの応用
今回は、元の記事が「楽器練習」の話題なので、全般的にからだを使ってなにかを覚える、という観点でまとめたことが多くなりますが、これらの手法は「書くこと・考えること・学ぶこと」にでも十分に応用可能です。
まずなによりも覚えておきたいのは「時間」が重要ではないということですね。
たとえば単純に「覚える」ことだけでも、ダラダラと漫然と「覚える」のではなく「集中力」を鍵にして、短時間ですぱっと終わらせる。
漫然とAnkiアプリを使うよりも、10分だけ集中する、と気合いを入れて取り組むだけでも成果が全然違うかもしれない。
さらにもう一工夫するなら、記事に書いてある「ピークエンドの法則」とか睡眠の法則を有効活用するために、寝る前の5分だけAnkiアプリを使う、なんてテクニックも有効かもしれない。
また「イメトレ」という概念を「文章を書く力」を身に付ける練習にすることだってできます。
「弾けない時でも上達はできる」理論を使えば、ありとあらゆる文章を読むという行為はすべて「書く練習」にできます。
どんな文章を読む時も、すべて「自分が書くとしたら?」という目線で「イメトレ」する。これで、仕事時間もばっちり「書く練習」ができるようになっちゃうわけです。(当然そこで「集中力」が重要になってくることは言うまでもない)
そして、こうやって「学んだことを普遍化して応用する」こと自体も学習の能力であり、練習して上達できる「スキル」です。
この話を自分にどう応用できるのか。ただ「読む」だけではなく、是非自分なりに色々と考えて、自分なりの方法を試し、そこから自分なりの「練習論」「勉強論」を作りあげていってみてください。
目安としての30分の練習は面白いですね。薙刀式の練習はローマ字入力が干渉していて、昨日の自分を取り戻し、のってくるのに時間がかかる印象があります。朝一練習とか、フリックしてからやるとか、毎日少しやるとかいろいろ考えが深まりました。