読んだ本に線を引くだけでは何も語れるようにならないの続きです。だいたいここまでが導入編の予定で、次回から本題に入っていきます。
この「わかってるつもりでわかってない状態」は、人間によくある、非常に厄介な勘違いです。今だからわからるんですが、高校生のころにこういう「わかってるつもりでわかってない状態」を何回も体験していたのです。
高校で進路として「理系」を選択すると、数学が非常に重要になります。そして、重要な科目の教育には学校も当然熱心になり、高校の授業や宿題でたくさんの難しい問題を解くことになります。「今日の宿題は2問」なんて言われても、自分の力でまじめに問題を解こうとすると、宿題は30分なんかでは終わりません。
そこで、勉強するよりも遊ぶことがしたい不真面目な高校生は、少し考えてわからないとすぐに答えを見る、という方法を覚えます。問題集を開いて、3分くらい考えたふりをするんだけど、解き方がわからない。そして、答えは問題集の後ろに詳しく書かれている。誰でもページをめくれば簡単に答えは確認できる。そんな環境で、誘惑に勝てるような優秀な高校生は日本にいったい何人いるのでしょうか。私にはそんな誘惑に打ち勝てる精神力はありませんでした。これで、数学の宿題は10分で終わります。
誰もが簡単に想像できるように、当然それではいつまでたっても「できる」ようにはなりません。なによりもこの答えを書き写すことが厄介なのは、答えを書き写していると「できたつもり」になってしまうことです。答えを見ながら問題を解いているときには「わからないことなどなにもない」状態なのです。書かれている解答を追いかけて、式をそのまま書き写しているときは、全部「理解」できてしまうのです。
ただし、やはりその理解はあくまでも「わかったつもりになっているだけ」で、それではいつまでたっても問題が解けるようにはなりません。テストで同じような問題が出ても、その問題が解けません。なんなら、全く同じ問題が出てきたとしても解けないでしょう。答えを書き写すときには"わかっている"はずだった数学の問題ですが、結局それはわかっているつもりになっているだけで、全然わかっていなかったのです。少なくとも、テストでいい点を取るという目的では答えの丸写しはなんの役にも立ちません。
この「わかったつもりでぜんぜんわかっていない」状態。実はこの状態は、自分が読んだ本について語れないときと全く同じ状態である、ということに最近になって気がつきました。
読んだ本について語れない自分は、本を読んでいる時は「わからないことなどなにもない」状態です。書いてある内容を追っかけていけば、書かれていることが全部「理解」できて「どうなっているのかわかる」のです。ただし、その本にどんなことが書かれていたのかを聞かれると、全然説明できない。「わからないことなどなにもない」はずの本の内容を、人に語ろうとすると何一つ語れません。これも結局は「わかったつもりになっているだけ」です。
数学の問題を解くときも、読んだ本について語るときも「書いてあることを写しているだけ」では、わかったつもりになるだけです。わかったつもりにはなれても、それを使いこなせるようにはならないのです。テストの問題を解いたり、読んだ本について語れるようになるには「わかったつもり」ではなく「わかったものを使いこなせる」段階に至る必要があります。
では、その「使いこなせる」という段階に至るには何をする必要があるのか。それを考えていくのが本書の目的ですが、一言に凝縮するならばそれは「自分で書くこと」です。
数学の問題は、答えを見るのではなく(一度答えを見てもいいから)なにも見ずに自分で計算をして、自分で問題を解く。読んだ本について語るには(本を見ながらでいいから)書いてある内容をそのまま書き写すのではなく、自分の言葉にしてまとめなおす。
答えを見たり、電卓を使えばすぐにできるような計算。線を引けばそれで済むような文章のまとめ。どれも、現代の技術をうまく使ったり、ちょっとした抜け道を使えば、まったくしなくていいような苦労ばかりです。
どれも、まじめにやろうとすればするほど面倒です。ただ、結局そういう面倒なことが他の人ともっとも「差がつく」行動でもあるのです。そして、そういう「本に書いてあることをわざわざ自分の言葉で書き直す」ことの意義、効果をまとめ、ちょっとだけでもやる気になってもらうのがこの本の目的でもあります。
数学の問題が解けるようになることも、読んだ本について語れるようになることも、どちらも「面倒なことをちゃんとやる」ことが重要です。その基本的な部分はどちらも変わりませんが、いくつか異なる点もあります。
まず、学校のテストは、なにも見ずに自分の力で問題を解かないといけません。それに対して、読んだ本について語るときにそんな制限はありません。読んだ本を見ながら語ってもいいし、話す内容をまとめたメモを用意しても全く問題ありません。今どきならスマホにメモを保存することも簡単なので、突然人に本を紹介したくなるなんていうことが現実に起こった場合も、スマホを取り出して、メモを見ながら語ればいいのです。
また、数学の問題は、勉強した問題と同じ問題が出るなんてことはほとんどなく、基礎知識を応用しなければなりませんが、読んだ本について語るのときはやることは常に同じです。本を読みながら「台本」を作って、それを見て語ればいいのです。
となると、考えるべきは「いかにしていい台本を作るのか」ということだけです。少なくとも理論的には、本を読んで、読んだ本について語る台本さえあれば、やるべきことはそれを読むことだけ。
もちろんそこから「どうやって上手に語るか」というテクニックなども掘り下げればどこまでも追求できますが、それは本書の考える範囲を超えてしまいます。
この本で考えるのは、この「台本の作り方」です。そして、それができるようになるための読書メモの作り方や、読書メモができるようになる本の読み方、選び方などについてです。
本書の目的は「読んだ本について語れるようになること」ですが、こうやって作った読書メモは、これまでに読んだ本の内容をずっと覚えていられるようにしてくれるだけでなく、これから読む本をこれまでの何倍も面白くしてくれる効果もあります。
そう。結局「読んだ本について語る」ことは、実際に読んだ本について語らなくても、今まで以上に読書を面白くしてくれるのです。
世の人々がどれだけ読書が「役に立つ」なんて語ろうが、それが楽しいもの、面白いものでなければ続けられないし、人に勧める気にもなれません。ここからいろいろなことを考えていきますが、なによりも大事なのは「本を読むことは楽しい」というその気持ちです。
それを忘れないようにしながら、ここから順番に「面白い本の読み方」を考えていきましょう。