2023年12月31日から、ギターの「朝練」を始めました。
この記事が公開される段階でだいたい1ヶ月くらい経過したところなんですが、この「朝練」の影響で、これでもかというくらい自分の生き方というか価値観に大きな変化が起こりました。
なお、今回ここで語る朝練は、一般的に朝練という言葉でイメージされるものとは少しニュアンスが異なります。ここではそれを理解した上で、あえて朝練という名前を付けています。
では、今回ごりゅごが考える朝練はどういうものなのか。朝練という言葉に込めた意識や感覚なども含めて、今回感じたことをまとめてみたいと思います。
早く起きて始めるわけではない
まず最初にお伝えしたいのは、ごりゅごは、朝早く仕事前に集まってなにかする、いわゆる朝活みたいなものは、これまでまったく興味がなかったし、今も特にそうした活動に参加したいとは思っていません。
早起きは全然好きじゃなくて、それよりも前日にお酒を飲んで過ごしてる方がいい。そして、お酒を飲めば、次の日にはまともに起きられないし、起きたくない。少なくともこの20年くらいは、そんな生活を送ってきています。
そんな自分がなんで朝練を楽しめているのかというと、ごりゅごが実施している朝練は早起きを必要としないものだからです。
理由はシンプルで、早起きをするのではなく、ただ単純に、起きて仕事をする代わりに、最初にギター練習をするようになった。それに「朝練」という名前を付けたというだけす。
なので実際のところ、朝練という名前の行動でありながらも、午後1時から朝練をする、なんてことも普通に発生したりもします。それでも「朝練」と読んでいます。
言葉の定義が間違ってようが、ごりゅごの定義では「その日の仕事を終える前に行う練習」はすべて朝練です。
適当な理由に聞こえるかもしれないんですが、一応こういう名付けにも意味はあるんです。それが次の段落。
やることが残っていると今を楽しめないと思っていた
ごりゅごがこういう朝活的なものに苦手意識を感じていた理由を考えてみると、ただ単純に早起きがしたくないというだけではないっぽいということがわかってきました。
たとえば、一般的な朝活というものは、朝活が終わったら会社に行かなければなりません。それがどんなに楽しくても、会社が始まる時間になったら解散して、仕事に向かわなければなりません。
自分は、こうしたやることが残っている状況では、目の前のことを存分に楽しむことができない、という思い込みがあったのです。
今になって気がついたんですが、その理由のいったんは「中学時代の部活」の経験にありました。
スラムダンクに感化された少年ごりゅごは、ものすごく安易な気持ちでバスケットボール部に入部してしまったんですが、部の雰囲気や先生の指導方針などと相性が悪く、一瞬で部活がめっちゃ嫌になりました。
嫌ならば部活をやめるとかすりゃいいのにそれもしない。結局、2年生の途中までずっと、いやいや部活を続けていました。1
特に嫌いだったのが「休日の午後2時半から練習」みたいなやつ。
お昼を過ぎてからもまだ部活が終わってないと考えてしまうと、午前中もそれを想像してずっと残念な気分のまま。部活が終わったら、そこでやっと自由な気分を味わえるんだけど、2時半からの部活だとその自由な気分の時間がとても短い。
どうやらこういう体験が今も印象に残っていて、やること(嫌なこと)が残っていると目の前のことを存分に楽しめない、と思い込むようになっていた気がします。
ただ、実際これはただの自分の思い込み。
「目の前のことをきちんと楽しんだ方が楽しい」ということを学んで知ったからなのかどうなのかわからないんですが、まあ本当にあとのことなんてなにも気にせず今を楽しめています。
無意識に「仕事で成果をあげる」ことを最優先にしていた
この中学校での部活のことを思い出した時に、もうひとつ大事なことに気がつきました。
今の自分は、仕事を嫌なことだと思っていない。
そう思っているつもりなのに、実は無意識のレベルで仕事にネガティブな印象を持っていたのではないか?
自分は、世間一般に比べて「仕事」というものをわりと自由な価値観で捉えていると思ってたけど、全然そうじゃないのかもしれない。思ってたよりも仕事を「義務的」であり「ネガティブ」な目線で見ていたのかもしれない。
理性では仕事を嫌ではないと思いつつ、仕事を終えてない状態で「遊び」をすることは「よくないこと」だと感じている。これは非常に不健全な感情ではないだろうか?
自分は、仕事を嫌だとは思っていないかもしれないけど、結局よくない意味で「特別なこと」にしてしまっているように感じたのです。
というよりも、なんだかいつのまにか気付かないうちに、俺の人生の最大のプライオリティが「仕事」になってしまっているぞ?それって、俺が自ら進んで選んだことなのか?
そもそも、なぜ朝一番に仕事をするのか。それは、朝一番が一番気力が充実していて、一番高い成果を上げることができると言われているから。その時間に仕事をすることが、一番「効率がいい」と考えられているから。だから、朝一番の一番大事な時間は、仕事をしようと考えるようになった。
でもそれって、人生で一番重要なことは仕事での成果を最大化するということが前提になってない?
仕事での成果を最大化することを、自らの意志で選択したのであればそれで問題ないけど、その決断って、ビジネス業界の文脈に従って自分で勝手に思い込んでるだけで、自分で考えて決めたことなの?
俺の人生で一番大事なのって、仕事なの?仕事の生産性を高めることこそが一番に優先することだと思い込んでいたけど、それって「正しい」ことなの?
もちろんお金を稼ぐことは大事だし、働くことで得られる充実感や自己肯定感というのは素晴らしいものです。
ただ、果たしてそれは自分の中で、全てを差し置いて一番に持ってくるものなのかどうかについて、まともに考えたことはありませんでした。
そもそも、自分の人生で最大化したいものは、自分自身の幸福のはず。そのための手段として働くことは重要だけど、それを理由に最優先にすればいいわけではない。
面白い生き方をしている人の文章の方が面白い
よくよく考えてみたら、自分は自分なりに努力をして、その結果として時間に融通が利く働き方を選択できるようになりました。そこに関して努力をしたのに、いつのまにかそうやって得た自由を「仕事」に捧げようとしてしまっていた。
仕事を最優先にすることも、しないことも、自分自身の意思をもって明確に選択をしなければならない。
そう考えて、今の自分は「朝練」を選択する決意をしたのです。
そして同時に、こういう生き方を選んだ方が、結果的には仕事の成果を最大化することにもつながっていくような感覚もあります。
短期的に見れば、アウトプットできる絶対量は減るかもしれない。でも、このSubstackのコンテンツの価値は、ごりゅごがそこに時間をかけたかどうかじゃなくて、読んでる人が面白いと思うかどうかです。
そうなるとたぶん、面白い生き方をしてる人が書く文章の方がきっと面白い。
ギターをめっちゃ練習しながらも超ヘタクソな人が、なぜか自信満々に仕事の仕方とか、デジタルノートの使い方とかを語ってる。ギターは下手なのに、勉強とノートの使い方だけはうまい。そんな人が、勉強とノートの力を活かしてギターも上手になってしまった。
俺だったら、そういう人が書く文章を読みたいと思う。
だから、そういう人になれるようにしよう。
まとめ
という感じで「朝にギターの練習を始めた」ということをきっかけにして、自分の生き方みたいなのを考え直すことになった、という話でした。
文章の流れ的にうまく盛り込めなかったんですが、この「朝練」には最小時間も最大時間も設定していません。やる気がなければやめればいいし、やる気があればどれだけでも練習していい。そういうルールにしています。
これも楽しく朝練を継続するためには重要なことだと考えてます。(ただし、だいたい毎回同じくらいの時間で疲れてやめる)
なによりも一番素晴らしいのは、朝練を終えると「一日で一番大事なことを達成できた」と思えて、その後をとてもいい気分で過ごせること。夜に練習してるときは簡単に「疲れた」とか「寒い」いうのを言い訳にできちゃうんですよね。練習した方が楽しいのがわかっても、面倒でやりたくないと思ってしまうという矛盾。それが解決できる方法が朝練でした。
すべての人に朝練を勧めたいと思うわけではありませんが、仕事で成果を出すことを最優先にすべきかどうか、よくない意味で仕事を「特別なもの」にしていないかについては、みなさんも一度考えてみる価値はあるのではないかと思います。
自分の趣味のギターに関しては、本気で上手くなろうと努力はしているけれども、それでもやはり娯楽です。今一番優先してるのはギターの練習なんだけど、それでも同時に「趣味」であることも忘れてはいけない、とは思っています。朝練がつまらなくなったらいつでもやめていい。というか、ギターを弾くのがつまんなくなったらいつでもやめていい。そういう感覚は忘れないようにしたいところです。
最後に、この「朝練」を提案してくれたのは、ごりゅごの妻はるなさんです。こういう「自分では考えつかないアイデアを提案してくれる」人がパートナーであることは、たいへんありがたいことです。どうもありがとうございます。
その後、陸上部に転部して、幸福な部活生活を送れましたが、当時はそもそも「部活を変える」という行為自体にものすごくネガティブな雰囲気がありました。「あいつは途中で部活やめた根性ないやつ」に見られるという、残念な日本の縮図がそこにありました。おそろしきムラ社会。当時の自分はまだそういった「普通と違う」ように見られることを恐れていたんだと思います。
僕も最近、似たようなことを考えてギターの朝練始めてました!
なんとなく当たり前のように仕事から始まり、夕飯食べて、風呂入って、さーギターでも弾くかとやっていると子供が遊びにきても寂しそうに帰っちゃうのですよね。
ギターやめて子供と遊んでも、ギターしたい気持ちがモヤモヤしてるので子供にちゃんと向き合えていない。
この、なんとなくから始まってモヤモヤして終わるのがとても嫌だなと思い、夜は子供優先にして確実に時間の取れる朝にやるようになりました。
あと間を空けると、感覚取り戻すための時間がとてもストレスフルなので毎日やりたいですね〜