続いたことから好きと得意を見つける
🎓好きだと思うこととそれができることは同じではない
1月のセミナー開催日の夜、久しぶりにナレッジスタックの「オンラインオフ会」を開催しました。
今回のごりゅごは、最初にノンアルコール飲料を摂取したおかげで、かつてのように飲みすぎてグダグダになることもなく、非常にスマートに充実した時間を過ごすことができました。
そしてやはり、人といろんなことを話すと得られるものたくさんあるもの。今回もまた、オフ会きっかけでたくさんの思いつきやアイデアが出てきて、自分なりの考えを深めるきっかけにもなりました。
今回特に印象深かったのが「好きなことを続ける」という切り口の話です。今回はこれを書いて改めて整理してみたいと思います。(tktzさんありがとうございます)
(理論的には)好きなことならば続けられる(はず)
今回の話は、大きな意味では下記の記事とも関連するような内容です。
記事で書いたことをざっとまとめるとこんな感じです。
もしも自分が今よりももって成長したい、と考えるのであれば、自分が「役に立つと思うこと」に時間を使うのではなく、純粋に自分が好きなことに時間を使うべきだ。その理由は自分の「判断力」にある。
現在の自分が未熟であると仮定すれば、その未熟な自分による役に立つという判断はアテにならない。それならば未熟な自分の判断より、自分の好きなことをやった方が役に立つ確率は高くなる。
さらに、好きなこと・興味があることは学習の効率も高いので、その点でも好きなことに時間を使うことは「役に立ちやすい」と言える。
当時こういうことを考えたのは、好きなことならいくらでもやれる・続けられる、ということを根拠にしています。
これ、一見すると「正しい」根拠に思えるんですが、現実はそんなに都合よくできていません。
簡単に言うと「好きなこと」だからといって「続けられる」とは限らないのです。
たとえば、面白そう、楽しそうと思ったものに限って変な特別感を持ってしまい、逆に手を付けられなくなってしまう、というもの。
たとえばごりゅごの場合「MOBA」とかか「オートチェス」というジャンルのゲームでこういう経験をたくさんしました。
Vaingloryから始まり、LoLのモバイル版とかポケモンユナイトだとか、期待のMOBAが出てくる度に、今度こそオレはこのゲームを楽しむんだ、と思いながら、結局ちょこっと動画を見たりするだけ。実際のゲームは、数試合とかもうちょっとやった程度でおしまい。面白そうでずっとやりたいと思うくせに、なんか手を付けられない。ハマりきれない。ずっとそんな状態のままになってしまうもの。そんなゲームが(ここに書いた以外にも)たくさん思い出に残っています。(ゲームという分野全般で、こういうものはすごくたくさんあった。たとえばSlay the Sprireなども、今でも好きだし面白いと思うけれども、何度やってもハマれず長続きしなかった)
続けられたことから「好き」を見つける
こういう経験をたくさんしてわかったのは、自分が主観的に感じる「好き」であるということと、その好きなことに熱中できるのかどうかというのは必ずしもイコールで結ばれるわけではない、ということ。
どうも、自分が好きだと感じているのは、確かに「好き」なのかもしれないけれども、全部が全部それに熱中できるわけではないみたいなのです。
なので、まずはその「好きだけどどうも熱中できないこと」は一旦脇に置いておきましょう。
そして、別の観点から「好きで熱中できること」を見つけるのです。
その方法というのは、自分がそれを好きかどうかを「思う」ことで判断するのではなく「結果」で判断をしていく、というもの。
ここ数ヶ月の自分を振り返って、無理せず続けられていることはなにかないか?
できればそれはテレビ、お風呂、歯磨きといった誰もがやっているようなものではなく、他の人はあまりやってなさそうな「できていること」「自然にやってしまっていること」が望ましいです。
たとえばそれは「コーヒー豆を自分で焙煎する」なんてことかもしれないし「薙刀式という名のローマ字入力ではない日本語入力の方法」かもしれない。「コンビニで見たことないお菓子を見つけたら必ず買う」なんてことでもいいし、本屋を見かけたら中に入らずにいられない、なんてのも「できていること」だと考えます。
過去一週間くらいを思い返し、普段自分がやっている「他の人はやってないこと」を探してみる。これから一週間くらいの間、普段自分がやっている「他の人はやってないこと」を探してみる。
こうやって自分が「できていること」が見つけられたら、そこからチャンスが生まれます。
自分がそれを「できている」のはなにが理由なのか。これを考えてみるのです。
なぜ自分は、コーヒー豆を自分で焙煎することがごく自然に継続できてしまっているのか?
きっと継続できている理由は、単純ではなく複合的に様々な要素が組み合わさったものです。単純に、近所に焙煎したてのコーヒー豆を売ってくれるようなところを知らないから、自分で焙煎することを選んだのかもしれない。それを続けていたら、自分で焙煎したら珈琲代を安く済ませられて、安く美味しい珈琲が飲めている「得した感じ」が好きなのかもしれない。最終的には、自分なりの試行錯誤の結果として美味しいものを作れた、という満足感が好きなのかもしれない。
こういう理由を、ひとりで言語化して理解していくのは簡単ではありません。こういう理由って、大抵の場合は「なんとなく」で済ませてしまっているというのが人間の当たり前の性質です。
なぜ自分はそれを「できている」のか?
大事なのはまず、主観的な「好き」をアテにしない、ということ。
好きなことだから続けられる、と考えるのではなく「続けられていることは好きなことである」と考えること。
「好き」なことというのは簡単に見つかるなんて考えるんじゃなくて、自分が「好き」だと感じる感情も、けっこう複雑で、きちんとその感情を理解できるようになるためには「好き」という感覚に対する感度や解像度を上げていく必要がある、と考える。
だから、未熟な自分が「好き」と感じる感情をアテにするんじゃなくて、自分が続けられたことを好きなことだと考えて、結果を元に自分が「好き」なことの解像度を上げていく。
あとは、自分が考えた好きな理由を、次になにかを始める時に組み合わせてみる。
「得した感じ」が好きそうだと思ったなら、ギターの練習をする時に「得した感じ」を味わうにはどうしたらいいのか考えてみる。
好きな理由を見つける方法
最後に、自分が「できていること」から好きな理由を見つけるためのヒントを少しまとめておきます。
まず覚えておくべきは、5分や10分で答えは出ないというのを理解しておくこと。「1回に考える時間」は5分以下でもいいけど、一回や二回で結論を出してしまわないこと。
少なくとも一週間くらいは、ことあるごとに考える。テレビやSNSなどを見る時間を5分減らして考える。通勤時間にスマホを開いたら、そこで「メモ帳」を開いて好きなことについて考えてみるようにすること。
そう。ここでも重要なのは「頭の中で考える」のではなくて「書いて考える」ことです。
ではもう少し具体的にどんなことを書いたらいいのか。

