今回は、メモ帳の使い方から影響を受けて変化した、ごりゅごのデイリーノートの話です。
前回は大雑把に「3種類のメモ帳を使っている」という話でした。「パソコンで使う」「iPhoneで使う」「ウェブ情報の保存に使う(パソコンでもiPhoneでも使ってる)」という3通りの使い方をしてて、それぞれ役割がちょっとずつ違うんだよ、という感じの話をしました。
で、最近こういうメモの使い方をするようになった影響で、Obsidianのデイリーノートの使い方にも変化が表れてきました。
感覚としては、デイリーノートの使い方が今までよりも「アナログっぽい」「手動っぽい」使い方に変化したイメージ。いろんなことが自動化できるんだけど、自動化を使わず、もっと雑な運用をするようになってきた、という感じでしょうか。
そして、あくまでも現段階での感覚ですが、デイリーノートはこのくらいがちょうどいい。あんま複雑なことをせず、シンプルで単純に使う方が気楽に楽しく使い続けられるのではないか、と思うようになっています。
デイリーノートのテンプレートは「手動のみ」
まず、最近はデイリーノートのテンプレートは完全に空白、なにも使わない状態になりました。
その代わりに、明日やろうと思うことを1個だけ明日のデイリーノートに書く、ということをやっています。(それ以外にも、将来特定の日付で確実に必要なものがあればその日付にあらかじめ必要なことを書いて置く)
こういう使い方になった理由は、結局テンプレートというものを使うと「増えすぎる」から。
結局、デイリーノートのテンプレートにやりたいことを書いてると、これもやっといた方がいいよな、みたいな感じでやりたいことがどんどん増えていきます。自分の場合はそれらをやらなかったこと自体はあんまり気にならないタイプではあるので、そこで精神的に云々、というのはあまりありません。ただ、こうやってやろうかなーって思ってることの数が増えると単純に長くて邪魔なんですよ。そして、量が多いせいでむしろ「これだけはやっとこう」みたいなやつすらも放置してしまい、1日の終盤になってそれに気がついて「まあいいや」となる。そういうパターンに陥りがち。
最近は、やろうと思ってることはSpaced Repetitionを使ってきちんと管理できてるんだから、それ以上のなにかは必要ないよね。そんな風に考えるようになりました。
1個だけなら先送りしていいという気分のよさ
この方法を使うようになったおかげで、心置きなくめんどくさいことが先送りできるようになりました。
たとえば「本を書く」というような、数ヶ月かかるような巨大で終わりが見えないようなプロジェクトって、どうしても毎日コツコツ続けるのって難しくて、面倒くさくて後回しにしたくなっちゃうんですよね。
こういうやつを「明日のやることリストに先送りしてやろう」と決めると、今日は面倒を先送りできる。そして翌日は「さすがに今日は一番最初にやるか」と思える。
これで、原理的には2日に1回は確実に「一番重要なこと」を進めることが出来るようになります。そして最近は、なんというか「このくらいでいい」と思えるようになってきたんですよね。
やりたいと思ってる、重要だと思ってることはあるけど、それを毎日欠かさず1時間も2時間も継続するのは難しい。こういうの、2年3年とかってレベルなら"頑張れば"できるとは思うんですよ。ただ、10年を超える期間、ずっとこういうことができるのかと言われたら、少なくとも自分にとってそれはとても大変で、つらい。できればやりたくない。
ならば、あと40年くらい今の生活を安定して維持していくためには、2日に1回確実に重要なことが進められれば、もうこれで十分にすばらしいじゃないか。毎日やりたいことが、確実に2日に
1回もできるのって、けっこうすごいといっていいんじゃないだろうか?
なによりも、今後何十年先まで見据えて、健康で健全な生活を過ごしていくためには、そのくらいの緩い感じじゃないと、維持が難しいのではないだろうか?
まあ、ぶっちゃけかなりの部分は自分用にひねり出した後付けで都合のいい理屈なんですが、どんな理屈だろうが、それでちゃんとうまくまわるならそれでいい。
少なくとも今のところ、これで致命的にヤバいことにはなっていないので、自分の仕事や生活スタイルとのバランスを考えると、けっこううまいこと「先送りシステム」を使えているんじゃないかと思います。