ついにようやく、2022年1月頃から書いていた『アトミック・シンキング』を完成させることができました。すでにレビュー、感想などを書いてくださった方もいらっしゃいます。ありがとうございます。
五藤隆介さん著『アトミック・シンキング: 書いて考える、ノートと思考の整理術』のターゲットは誰か – さおとめらいふ
五藤隆介『アトミック・シンキング 書いて考える、ノートと思考の整理術』 - インキュベ日記
また、Podcast「ブックカタリスト」にて、自分が書いた本について自分で語る、ということもやっています。
『アトミック・シンキング: 書いて考える、ノートと思考の整理術』 - by goryugo - ブックカタリスト
とりあえず今は、ようやく今年やるべきことを一つやったぞ、という感じで解放感に溢れているところです。
心に余裕が出来たのか、ノートの使い方も新しい事をいろいろ思いついたりして、新しいことの試行錯誤も試みたりしてる最中です。
そんななかでちょっとこれから重視したいのが、いわゆる「アイデア」に分類されるものの扱い。分類が難しい項目をどのように育てて、管理していくのか。そのあたりについて「書きながら考える」ことを進めていきたいと思います。
たとえばなしをどう管理するか
今回の本は「たとえ話」を使うことが多かった。
脳内将棋、三日坊主を30回続ければほぼ100日という話や、レゴを使ったアトミックの話など、意識的にたとえ話を多く用いたのだが、期待以上の人がそれを評価してくれた。
これまでの自分はたとえ話の重要性をきちんと認識できていなかった。当然そういったことをノートにまとめることもやっていない。だが、今回の本でたとえ話の効果や役割を思い知り、考えが変わってきている。
こういったたとえ話などもきちんと「アトミック・ノート」を作って活用できるようにしたい、と思うようになった。今回は「執筆しながらたとえ話を考え出す」ということをやっていたが、それだけではいつか限界が訪れることは容易に想像できる。
実は同じようなことは「体験談」にも言える。本の下読みをしてもらった最中に、複数の人からもう少し体験談があった方がいいのでは?という意見をいただいた。
最終版では多少体験談を増やしたが、それでもたしかに体験談が物足りない、という意見はよくわかる。今回の本で自分の体験談が少ない理由は、半分は自分の「考えたこと」を重視したかったので、意識的に少ない、という部分もある。だが同時に、自分のノートの中には「体験談のアトミック・ノート」はほとんど存在していなかった。これによって体験談を本の中に盛り込むことを思いつかなかったのではないか。そんな可能性も考慮してもよさそうだ。
アトミック・シンキングで作ったノートを元に本を書く場合、本の内容は「これまでに自分が作ったノート」がベースになる。そうなると、たとえ話や体験談も(これからも本を書きたいと思うならば)アトミック・ノートとして管理し、さまざまな場面で活用できるようにまとめていく必要があるのではないか?
今はそんなことを考えている。
たとえ話や体験談は「アイデア」として思いつく?
実際に、たとえ話でアトミック・ノートを作るとなると、どのような方法があるのか。これは、今までのアトミック・ノートとほとんど同じように扱うことができそうで、自分の中でイメージがしやすい。
たとえば「頭の中だけで考え事をするのは目隠し将棋を指すようなもの」というタイトルのノートを作れば、十分にアトミックなノートが作れる。そして、そのノートを「📋考えるトピックノート」からリンクしておけば、きちんと機能する(と予想している)
それよりも今回は、こういった「たとえ話」を思いつくことが「アイデア」なのだと認識できたことが大きい。人によっては当たり前すぎることだろうが、こういう「アイデア」は自分にとって大きな発見だった。
自分が普段思いついてメモをするような内容は「これをやっておこう」「こういうことをやったらよさそう」というようなことばかり。基本的にはなんらかの「行動」を前提としたことしか「アイデア」と認識していなかった。
たとえば「githubでノート編集履歴を細かく残してみる」ということを思いつくことはできた。ただしこういった「アイデア」で問題になるのは、基本的にやるかやらないかという判断だけで、これを貯めておいてどこかで使う、という可能性はほとんどない。
「頭の中だけで考え事をするのは目隠し将棋を指すようなもの」というたとえ話は、今までの人生では「アイデア」として認識できていなかったようなのである。だから、たとえ話を「思いつく」ことは発生しえないし、思いついてもそれを管理・保管するということも考えもつかないことだった。
ああ、こういうのがアイデアというのか。確かにこれは、思いついてもいつ使えるかわからないし、思いついたものを管理しておくのは難しそうだな、と今はじめて認識することができた。
認識ができればアイデアは生まれる(可能性がある)
重要なのは、今回の経験でこれを「アイデア」だと自分が認識できるようになったこと。しかもこのアイデアは、今後も本の中で活用できる可能性があるアイデア。
アイデアを思いつくかどうかはコントロールできるものではないが、アイデアも自分が普段考えている、役に立ちそうな事でなければアイデアとして認識されない。
たとえ話を思いつくことは重要である。たとえ話を思いつくことはアイデアである。
たとえ話というものをこのように認識できるようになったことで、自分が思いつくアイデアというのは一つスケールが広がったように感じる。
実際のアイデアを保存するまでの手順
おまけ的に、思いついたアイデアをObsidianに保存して整理するまでの過程を書いてみようと思う。
まずなにか「アイデア」と呼べそうなことを思いついたとき、最近はこういったものは再び「たすくま」を使って記録している。
最近こういう「アイデア」をメモするときには、情報量が多いことが重要な気がして、まとまってなくていいからできる限り「たくさん」書くようにしている。しばらく使っていなかった音声入力も、たくさんの情報を残す場合には都合がいいので、再び活用している。
『アトミック・シンキング』のたとえで言うならば、アイデアは「フリーライティング」するようになった、というイメージ。文章がまとまっているかどうか、整理されているかどうかなどを気にせず、思いついたことを思いついたままに書く。
そして、こうやって書いたメモは翌日の「日記を書く時間」に一通りのメモを振り返って、Obsidianにアトミックノートとして転記。
ここでは、最低限のタイトルを付けることと、今度見たときにも意味がわかるレベルにすることを目標にする。とりあえずメモにタイトルを付けるならば「Obsidianの中身を動画で見せるのは人を家に招くようなイメージ」とかになるかな?(ちょっと長い)
そして、このノートにdraft
タグをつけてひとまず整理完了。
あとは、以下の記事に書いたような「毎日のノートの振り返り」の時間に少しずつノートを手入れしていく。