ちょっと前から「なにもしない散歩」(買い物、Podcastなど「ついでにやること」を一切用意せず、ただ散歩のみを目的にする散歩)というものにハマっていました。そして、近いうちに「なにもしない散歩が素晴らしい」という記事を書こうと、下書きも用意していました。
ただ、この記事を書き終える前に、今度は「スロージョギング」という新しい遊びを覚えてしまい「なにもしない散歩」が「スロージョギング」という形に進化してしまいました。
そもそも、スロージョギングとはなんなのか。なぜスロージョギングというものを始めようと思ったのか。そして、このスロージョギングというやつのなにが面白いのか。
そんなことをまとめてみたいと思います。
ポピュラーサイエンスから健康や運動を学ぶ
まず最初に、ごりゅごの「健康オタクストーリー」から振り返っていきましょう。
大人になって、いわゆる「通勤」と縁のない生活をするようになってから、日常生活から運動はほど遠いものになっていました。
そんな中でも一応「健康のために運動をせねば」という意識は人並みくらいには持っていて、ボルダリングをやってみたり、筋トレをやっていたり、プール通いをしてた時期などいろんな時期がありました。
「健康オタク」になった理由というのは、ブックカタリストというPodcastを始めたこともけっこう大きくて、そこでは不定期ながらもそれなりの分量の「運動本」「ダイエット本」「健康本」を紹介してきました。
ざっと関連しそうな本を振り返ってみましたが、それなりの量がありました。
BC056 『運動の神話(上)』 - by goryugo and 倉下忠憲@rashita2 - ブックカタリスト
BC058 『運動の神話 下』 - by goryugo and 倉下忠憲@rashita2 - ブックカタリスト
BC060『運動しても痩せないのはなぜか』『科学者たちが語る食欲』
BC064 『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』
BC094 『熟達論』 - by goryugo and 倉下忠憲@rashita2 - ブックカタリスト
BC101 『プリズナー・トレーニング』 - by goryugo - ブックカタリスト
BC103 『肥満の科学』 - by goryugo - ブックカタリスト
BC116『体内時計の科学』 - by goryugo - ブックカタリスト
その中でも特に直接的な影響が大きかったのは『プリズナートレーニング』でした。
これは自分が大人になってから始めて純粋に「楽しむこと優先」で継続できている運動です。(2024年9月から現在も継続中)
→ 「習慣化が得意」なのは性格ではなくスキルとして獲得できるのではないか?
なにもしない散歩は「効率がいい」
そして、プリズナートレーニングによって運動が楽しくなったからなのか、2024年の年末からは、もうひとつ新しい運動習慣が追加されました。それが「(できるだけ午前中に)なにもせずただ散歩する」というもの。(『体内時計の科学』からの影響が大きい)
この散歩が特に素晴らしかったのは「なにもしないことで効率が上がる」というところでした。
これまで、散歩というものはどうしても時間を消費してしまう「もったいない行為」だと感じてしまっていたんですが、たとえば散歩中にPodcastを聞くといった「一見効率が良さそうに見えること」をやめることで、結果的に1日の生活の効率が良くなったのです。
もう少し具体的に言うと、散歩って「暇だからいっぱい考え事ができる」んですね。
特になにを目的にして考え事をするってわけでもないですが、大抵の場合は「今日はなにをしようか」だとか「最近気になってるあれどうしよう」というレベルの、身近なことについてなにかを考えることが多いです。
だいたい1回の散歩が、30〜40分くらい。
このくらいの時間を使って暇に任せた考え事をすることで、逆に「残りの時間でやりたいことが捗る」ようになってきたのです。
心肺機能を上げるのが楽しい
散歩の効果というのは思ったよりすごくて、単純に「思考が捗る」だけでなくて、散歩によってヘルスケアアプリで確認できる数値「VO2MAX(最大酸素摂取量)」が、どんどん伸びていく、という現象まで発生しました。
(こういうパラメーターはヘルスケアアプリでたくさん確認することができます。詳細→🩺 iPadで健康管理を始める - by goryugo)
明確に散歩を意識しはじめた1月から一気にパラメーターが上昇して、3月にはこのパラメーターが「平均より上」にまで到達できてしまいました。
ただ、ここから最大酸素摂取量というやつが全然伸びない。
というか、3月をすぎてからは最大酸素摂取量が全然伸びないどころか、数値は少しずつ減少するようになり、再び「平均より下」にまで下がってしまいました。
お気楽に楽しく散歩してるだけでいい感じに心肺機能が上昇した。これは大変楽しくて素晴らしい。
運動が出来て健康が捗りつつ、思考まで捗ってしまう。いいことしかないやん、とか思っていたのに、気がつけば健康に関する数字は下がってきている。
さらに困ったことに、これはなにが悪いのかがよくわからない。
まあ、そもそもこういう数値を「平均」なんてものと比較して自分を位置づけるというのは、自分の心の小ささの現われだとも思うんですが、だとしても「数値が下がっている」ということ自体は事実である。(数値が正確な状態を把握しているかどうかまではわからないが、現実から大きく外れた数値でもないはずである)
やっぱりこれは多少は運動強度を上げた方がいいのかなあ、なんてことを考えて、気が向いて散歩の時間に「走る」時間を取り入れてみることにしたのです。
「できるやつのつもり」でいる傲慢さ
ごりゅごはプリズナートレーニングによって「ほんの少しずつ頑張る」マインドを身に付けた熟練の運動プレーヤーです。
いきなりハードにたくさん走ろうなんてことはせず、いつも歩く分のうちのごく一部、散歩の最中に、少しだけ走るということから始めました。
ちょっと大変になったらすぐに走るのはやめてよい。できれば「前回よりはちょっとたくさん走る」ということを目指したいけど、前回と同じくらい走るができたらもうそれで十分。
そういうライトな感じで走ることを取り入れて、ちょっとずつ走る時間を増やしていこうとした矢先。「走り終わったらとても足が痛い。歩くのがつらい」という状態に陥ってしまったのです。
痛いのはのはふくらはぎとアキレス腱の間くらいのところ韃靼ですが、どこが痛いとかは今回は重要ではないので置いときましょう。
大事なのは「健康を目指して走っていたつもりなのに、走ったら怪我をしてしまってむしろ不健康な状態になってしまった」という非常に残念な現象を起こしてしまった自分をどうするか、です。(安全のため、約1週間筋トレもやめた)
「熟練運動プレーヤーごりゅご」と自称して、3行先はこれですからね。
気がついたんですが、どうやら自分は運動に対して「お絵描き」とはまったく逆のよくないマインドがあるみたいなんです。
2024年までのごりゅごは「お絵描き」に対して、練習したってできるようになんかなるわけがない、みたいな過剰に卑屈なマインドを持っていました。
お絵描き練習を通じて、このマインドはかなり改善されたと思っていたんですが、どうも自分は運動に対してこれとはまったく逆の「できないのにできるつもりでいる」マインドがくっっそ強いっぽい。
かつての自分は「陸上部」に所属しており、しかも一番下の大会は勝ち抜けるくらいの成績を残した。長距離の選手ではなかったけど、人並み以上にはたくさん走ることを経験していて、走ることは「得意」であるのだと思い込んでいたわけです。
怪我をして、これが超傲慢な考えであった、ということに気がつきました。
確かに、25年前の自分は「走ることが得意」だったかもしれない。そこまでは認めてもいい。だがそれは、もはや25年も前のことなのである。
25年前にどれだけすごくても、そこから25年間努力を怠っていれば、人並み以上どころか人並み以下であることをきちんと認めねばならない。
「ゆっくり安全に走る」なんて言ってるけど、全然ゆっくり走れてないし、健康的に安全に走れているわけでもない。ゆっくり走ったつもりで、それで足が痛くなってるなんて、一番痛くてダサいおっさんになっとるやん、と。
で、そういうタイミングでちょうど「スロージョギング」というものを思い出したのです。
ランニングする前に読む本 最短で結果を出す科学的トレーニング(本の紹介リンク)
くっそ長くなってしまったので、続きはまた次回。