DayOneを使いながらさらに紙の日記帳も使う理由
🔧新しいことを始めてわかったたくさんのこと
2023年8月に習字の練習(「なんでも上達できる」と思うとあらゆることに挑戦できる)をきっかけに手書きに興味を持ち、2024年の3月には万年筆が使いたくて紙の手帳を購入(1周まわって再び考える、紙の手帳を使う意義)。
MDノート→MDノートダイアリー
アナログツールに関することはそれ以来あんまり書いてなかったんですが、6月ごろに新しくMDノートというノートを購入しています。
元々使っていたトラベラーズノートはギター練習記録や持ち出し用、読書メモと日記はMDノート、という感じで紙のノートを使っています。(どうやって紙のノートを使い分けるかという悩みは常に定期的に発生する)
そんな感じでMDノートに日記を書いていたら、これから毎日1ページずつ日記を書いていくとちょうどキレイに2024年で使い終わるということが判明。そしてその偶然に乗っかって、来年に向けて1年1冊の日付入りのデカイ手帳を購入しました。
2025年版手帳|【MDノートダイアリー】 A5 マンスリーブロック+1日1ページ 手帳 2025年版 22344006|ミドリオンラインストア
Amazon→ミドリ MDノートダイアリー 手帳 2025年 A5 デイリー 22344006 (2024年12月始まり)
かつてほぼ日手帳を毎年購入していたころ(2004年〜2009年)から見て、およそ15年ぶりの「来年の手帳を買う」という体験です。
なぜ紙の手帳を使うのか?
日記マニアなごりゅごにとっては、MDノートは3つ目の日記帳です。毎日Obsidianのデイリーノートに日々の仕事記録を残しながら、DayOneアプリで、毎日の出来事やお出かけ、買ったものなどを記録。それに加えてさらに紙の手帳まで使おうとするわけだから、もはや1日の大半を日記に費やしているんじゃないかということも言えなくもない。
特に紙の日記なんて、元々DayOneで毎日日記を書いてるんだから、さらにアナログでなにかを書く意味なんてあるのだろうか?
自分でも不思議に思っていろんな理由を考えてみたところ、一応わざわざ紙を使うことにも意味がある、と思うことができました。
現段階で辿り着いた結論は、一見するとムダな時間に見える、わざわざ日記を書く時間を確保することにこそ、紙の手帳で記録を残す意味があるのではないか、ということです。
もうちょっとカッコイイ言い方をすると、日記を書くという時間を通じて、1日の中に意識的に余白を作る。そこに意味があるんじゃないか、という感じ。
紙の日記を書くのは、主に朝と寝る前。この時間に、意識的に時間を確保して、昨日はどんな感じだったかな、今日はどんな感じだったのかな、なんてことを思いだしながら日記に記録を書きつける。
この5分10分の時間をわざわざ作るということが、意外によい感じなんですよ。
スマホを手に入れた現代人は、ほんの1分の待ち時間があれば暇に耐えられずスマホを眺めるようになり、逆に時間と心に余裕が持てなくなってしまうという非常に厄介な問題を抱えるようになりました。
そんな現代だからこそ、わざわざ紙のノートに向かって、脳内の記録を頼りに「今日、自分に起こったこと」をゆっくり思いだす。
テレビやネット、会ったことのない他人の話ではなく、自分や身の回りに何が起こったのかを振り返る。常時接続が当たり前になってしまった世界だからこそ、それは「孤独」を取り戻すための貴重な時間です。
ごりゅごは元々メンタルヘルスをよい状態に保つことが得意なタイプだと思ってるんですが、それでもこの「日記を書く時間」を意識的に作るようになって、めっちゃメンタルヘルスにプラスの作用が起きてる感覚があります。
さらに、不得意だと感じている「怒りのコントロール」なんかも、少なくともこれまでよりは上手にできるようになり、今までより心穏やかに過ごせてる感じはあります。
余白の確保によって心に余裕が持てるようになること。これが、ごりゅごが見つけた手書きで日記を書くことの意義の1つ。
今までにないことを意識的に行う
手書きで日記を書き続けている理由はそれだけではありません。もう一つ同時に「実験」「練習」と言えるようなこともやっています。
そもそも心の余裕が持てた、というのは日記を書いてた結果付いてきたもので、もともとは手書きの日記は「実験」であり「練習」だったのです。
ごりゅごがやってる練習というのは、毎日1個以上(1ページに1つ以上)なんらかの「絵」を日記に描き残す、ということ。
この練習を真剣に始めたことで、自分の中の日記というものの印象が変わりました。今は明らかにこれまでと違うジャンルの日記を書いている感覚です。
まずそもそも、文字でなく絵や図が簡単に描ける、というのはアナログのツールのメリット。なので、日記に絵や図を描いてあげることで、同じ日記をわざわざアナログツールでやるという意味を見出しやすい。
これが、手書き日記を続けられていた元々の理由です。
と同時に、こううやって絵や図をたくさん日記に残していたら、日記を振り返る時の「この時こんなことがあった」という直感的認識のしやすさが、文字だけの日記の何十倍、何百倍にもなっていました。このわかりやすさは、毎日写真を残しているDayOneよりも上。写真よりも自分の絵が残ってた方が、この日になにがあったのかがすぐわかる。
それは単純に、写真1枚よりもちょっとした絵を描くことに手間がかかっているということも理由の1つだし、何枚も残せる写真と違って、なにを書こうか考えて1日の中でのもっとも象徴的な情報が残っているから、というのも理由だと思います。写真と違って絵を描く場合は「省略」が積極的に行われるので、それがより思い出を振り返る時の直感的な認識の早さにもつながっているのでしょう。
なによりも自分にとって面白いのは、そもそも「1日の中からなにを絵に描いたらいいのか」ということを考える行為。今日あったことを文字で残すことはいくらでもできるけど、今日あったことを絵で表現するというのは、これまで全然やったことがなかったこと。脳のまったく使ってこなかった領域を使っているような感じがして、これが非常に新しくて面白いです。
今日1日の出来事から1個だけ「絵」を選ぶとしたら、何にしたらいいだろうか。
これまでと同じように生きていると、ほぼなにも描ける絵が思いつきません。なので、毎日なにか絵に描けるものがないかを考えて世界を見る。
こういう「今までやってなかったことをやる」というのは、おっさんが老害にならないためにはものすごく重要なことだと思ってます。
この手帳を使い始めた6月21日から本日までは、少なくとも毎日必ず何らかの「絵」を残してはいてるし、それ以前もお絵かき練習を始めた4月22日から、だいたいの日はなにか「絵」を描いていました。
ことばだけで説明できるものではないけど、これによって確実に自分の視点は確実に広がった、と思います。
別に、これを読んだならみんなもお絵かきをしようぜ、ってことがいいたいわけじゃなくて、それよりも、なにかきっかけがあって、ちょっと興味を持ったら、1回でいいから、10分でいいから、まずやってみるってのをやってみようぜ、という呼びかけです。
そもそもごりゅごは、お絵かきの練習(線画)をきっかけにして水彩絵の具に手を出したんですが、そのきっかけも妻に「ちょっと色塗りもしてみるか?」と言われたから。
最初は「今はまだそこまでできなくてもいい」みたいに断ろうとしたんだけど、すでに家には絵の具があるんだし、やってみて損することなんて「恥ずかしい」とか「うまくいかなくてイライラする」とかっていう感情的な要素だけ。どっちかっていうと「わからない」という不安を、やらないことでなしにしようと思っていた、という印象です。
それならば、恥ずかしいという感情、わからないという不安感さえ楽しめるようになれば、なにも損することはない。
そう思い立って実際に色塗りをしてみたら、これがやたらと心に残る。「別に上手じゃないけど、なんかすごく絵の印象が変わったな」と思うようになり、そこから気がつけば自分用の絵の具を買ったりして「趣味」として水彩絵が楽しめるようになってしまったのです。
色々言いたいことを書いてたらまとまらなくなってきましたが、
手書き日記はメンタルヘルスによい
新しいことを始めるのは自己の老害化対策によい
大人の知力+情報収集力+忍耐力を組み合わせると、子供の頃にできなかったこともけっこうできる
というのが言いたかったことです。
そして最後におまけで、もし万が一、手書きの日記にちょっとだけでも「絵」を付け足してみようと思った人向けに、ごりゅごが最近気に入っている「絵を描かずに絵を描く」方法を紹介します。
絵なんてまったく書けなくても、文字と線だけでもある程度絵になる素材、というものが存在します。




