以前ご案内した「ナレッジスタック飲み会」の受付を、そろそろ締め切ります。
もし参加しようと思っている方がいらっしゃれば、3月23日23時59分までに以下のフォームからお申し込みください。
https://docs.google.com/forms/d/13NLvPIYWIsmBjDAjPQXzKEzrIrcqaz_TzWEVARiirIg/edit
会場などの情報は、24日以降に、お申し込みいただいた方のみにお送りします。
(すでに参加表明いただいた方々、お目にかかれるのを楽しみにしています)
詳細などはこちらに→Obsidianを使って身体的スキルを言語化して学ぶ
2023年度に町内会で任命された(くじであたった)、神社委員のおつとめが先日終了しました。細かいことを言えば引き継ぎなどがまだ残ってはいるんですが、これで晴れて自由の身です。
ごりゅごが住んでるところの神社は、まじでよーやるわというレベルで活動が活発で、最低ラインとして月に2回の半日仕事(月次祭、と呼ばれるものが月に2回ある)が存在します。それに加えて、年に数回の特別なお祭りなどもあって、場合によっては3日連続で準備したりとか、大晦日は新年を迎える前から年明けまでたき火してたりとさらにハード。
まあ俺よくやったわ、と自分で褒められるくらいよく働きました。(これはこれで、人生経験としては悪くなかったし、神社活動の影響で新しい考えがたくさん生まれたこともたくさんあった。ただ、やっぱり回数は多すぎると思う)
で、それだけハードな神社のお仕事が終わったということは、逆に言えば2024年度以降は神社に使った時間を別のことに使える、ということでもあります。それだけの時間、余分にナレッジスタックでの活動に使えることを意味するわけです。
神社委員を通して、日常生活を送るだけではきっと縁がなかったような人たちとコミュニケーションをする機会が生まれた、というのはとてもよい経験でした。
今どきっぽい用語で言えば、サードプレイスができた、みたいな感じでしょうか。純粋にこういういつもと違う人と会って言葉を交わすというのは、人間関係が閉塞しないようにする意味で、とても意義ある経験でした。
ここから得られた経験をナレッジスタックに活かしたい。なにをすれば良いか。
その一つの方法が ↑ に書いた「飲み会」だったりするわけですが、それ以外にも「オンラインでのサードプレイス」みたいなのを目指してDiscordでコミュニティのサーバーとか作ってみようかな、と考えてます。
そういえば、コロナ禍にやってたオンライン飲み会とか、手軽でとても楽しかった記憶がある。そういうの、またやりたい。また、そういう企画があると、そこから今後Podcastに出てもらえる人を探すのにもすごく役立ちそうだし、Discordを通じて手軽にPodcastの収録もできる。
そういう場所があれば、記事のコメント欄には書きづらいような質問や相談、感想なんかも投稿してもらいやすいかもしれない。
そんなことを考えて、4月から5月の間くらいに、なにか「次の段階のこと」を始めていきたいと思ってます。
ひとまず今はまだ計画段階。ちょうど今度の飲み会などで、どんなことやったらよさそうかなども参加者の方に相談させていただければ嬉しいです。
手帳カバーが気に入って「手帳を使うために手帳の使い道を考える」
↑ に書いた神社委員の経験から影響を受けた要素がもう一つあります。それが「紙」に対する意識、感覚の変化です。
ノートに紙を貼るようになったのは、間違いなく神社委員で「領収書を貼って保存する」という体験をしたことからの影響です。さらに、そこからつながって万年筆で字の練習をしてみたりもしました。
そういう変化を経て、先日はついに手帳を買うという行為にまでたどりついてしまいました。(最後に買ったほぼ日手帳が2009年とかだったはず。だとすると15年ぶり。10年前は、紙の手帳の価値は完全にゼロだと思っていたくらいなんだから、すげえ変わったもんだと思える)
手帳を使う理由を考えるために「紙に手書きすることのメリットはなにか」というのはけっこうたくさん考えてて、最近はそれを通じて多くの発見がありました。そのあたりに関しては、また後日改めてまとめます。
今回、自分で素晴らしいなと思ったのは、手帳を買った理由です。
買った手帳は「トラベラーズノート」というやつなんです。で、これを買った理由というのは「妻が買ったトラベラーズノートがすげえカッコよくて羨ましかったから」なんですよ。
妻はるなさんが入手した、限定のムーミン柄トラベラーズノートというのが、なんかすげえかっこいいんですよ。あー、この革カバーいいな。そういえば俺、昔は皮製品とかわりと好きで、ヌメ革財布だとかなんか色々なもの買ったりしてたなあ。
あーこれはいいなあ。なんか紙の使い道を考えよう。トラベラーズノートを買う理由を考えよう。
そんな感じで手段と目的を逆にした、まったくもって合理的ではない買い物をしてしまったのです。
経済的に見れば、まったくもって賢くない行動なんですが、なんかこれがすごく気分が良かったんですよね。人間という存在が不完全であるがゆえに、不合理で効率的でない行動に、なんだかとても「いい買い物をした気分」が味わえた、という感じ。
そこから、ギター練習にあえて「紙」を採用してみたりだとか
5線譜やタブ譜を作るためのハンコを作ってみたり
厚紙とクリアファイルでペンホルダーを自作してみたりとか
読書メモをあえて「紙に書く」ということを試したり
なんかもういっこ手帳を買ったり、高級な純正クリップを買ったりなど、いろんなことを試してます。
とりあえず、買ってから考える。
沼にハマってからこういうことをやってしまうと、無限にお金は溶けていってしまいますが、だからといって「絶対無駄遣いしない」なんて生き方も息苦しい。
たまには、無理のない範囲で、ちょっとくらい「無駄なことにお金を使う」のも重要だな、と実感しています。
なによりも、今回はこの買い物をきっかけに、たくさん「手を動かすこと」ができた。これは大きい。それができるようになるならば、ちょっとくらいの無駄遣いは許されるはず!